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2020年12月17日 2000年も前に追われた土地に戻るってどういうこと? その1

はじめに

平均的な日本の教育を受けて育った私にとって、「国」というものはおじいちゃんおばあちゃんの、そのまたおじいちゃんおばあちゃんが生まれるずーっと前からあるものでした。「何年何月何日に、こういう戦いがあって出来上がった!」というような、建国のために生死をかけた歴史なんて、遠い遠い外国の珍しいレアな出来事。基本、「国」というものは、どこでも、昔からあるもので、これからもずーっとあり続ける、揺るがないもの。そう思ってきました。
世界史の授業で世界中のあちこちの戦争について教わったし、第二次世界大戦で日本が負けた経緯も学んだけれど、それを国の生き死ににつなげて考えることもなく、成人になって、外国で暮らして初めて、「世界の多くの国は戦争で滅びそして生まれ、21世紀の現在でもそれは続いている」という、「当たり前」に気づくことができました。「国は悠久である」という、「日本の常識」が「世界の非常識」だったことに、遅ればせながらやっと気づいたわけです。
ここにたどり着くまですら長い道のりだった私にとって、建国の理由が「ここはユダヤ人の約束の土地だから」で、2000年も前に土地を追い出されたユダヤ人たちが、「イスラエル」という国を作って戻ってきたという出来事は、どう考えても納得いかないものでした。
「戻ってくる」って、誰が?2000年も前から今まで生きている人はいないでしょう?しかも聖書に書いてあるって言っても、アダムとイブのリンゴとか、処女が神の子を宿ったとか、海がふたつに割れたとか、そういう寓話的な話でしょう?いくら何でも、それを理由に現実の国を作るのはムリがあるのでは?
そう思った日本人は、私一人ではないはずです。その証拠に、「2000年も前の出来事を、良く伝統として受け継いでますね」と、言葉では感心していても、顔は「???」になっていらっしゃる日本人の方に何人もお会いしました。すっごくわかります、その気持ち。
では、なぜ、イスラエルは2000年も前の史実(?)に基づいて現代社会に国をつくることができたのか?私なりに考えたことをまとめてみたいと思います。

「イスラエル建国前」に、ここにあった「国」は?

イスラエルという国は、ユダヤ人のための国として、1948年に国連の承認をうけて誕生した若い国です。それでは「イスラエル」という国ができる直前、ここにはどんな国があったのでしょうか?
私には「国が誕生する前」という状態がとても謎でした。日本人の私には、国ができる前というのは、「スサノオノミコトとか、アマテラスオオミカミがいた感じ?」というような神話な状態なのです。それも登場人物とか時間軸とかがあやふやな…。(すみません、自分の無知ぶりをさらけ出すようで恥ずかしいのですが…。)だから、どこの国も大抵そんなものだろうと思っていたし、もしそうでないなら、世界史で教わった(記憶のかなたの)大戦争的なものがあって、国が国を侵略するというイメージ。どちらにしろ、もともと何らかの「国」というものがそこにあることが前提でした。
歴史を調べてみると、イスラエルが建国される直前、この地域を治めていたのはイギリス。どうやら、1918年からこの土地はイギリスが支配していたようなのです。そうか…じゃあ、なんという国がイギリスに支配されていたのかなあと思って調べると、ここにはオスマン帝国があったことがわかりました。
う~ん、オスマン帝国かあ。まあ、1918年だから一応20世紀だし、第一次世界大戦中っていうんだから、神話の世界ではないけれど、オスマン帝国って、20世紀にも存在していたんですね。正直、もっと古い時代の話だと思っていました。
オスマン帝国。ちょっと私がイメージしていた「国」と違います。国名の後に「人」がつくと違和感あるし、今のトルコは別物らしいし。
そんな感じで時代を下っていくと、マムルーク朝とか、ラテン王国とかが出てきます。「イスラエルの誕生」って、ちょっと私が想像していた国の誕生=神話から国が生まれる、もしくは国VS国の戦争、のどちらでもないんだなあというのが私の感想です。

イスラエル建国の特徴は?

まあ考えてみれば、現代の、政治イデオロギーによる「国」のあり方は比較的新しいものなんですよね。
実際、第二次世界大戦後は、戦争に勝った国々がどの地域をどういう風に自分の領土とするかという話し合いがなされたし、独立運動が活発になり、ヨーロッパ諸国の植民地だった国々は大なり小なり紛争や戦いなどを経て、独立していった。「政府」でなくて、酋長とかが部族ごとにはっきりした「国境」もないまま独自のルールで治めあっていた地域なんかも、現代の西洋的な「国」にカテゴライズされ、国境線が引かれていった。
そう考えると、アフリカ大陸やアジア地域などで、元植民地だった地域から第2次世界大戦後誕生した多くの国々と同じように、「イスラエル」という国もイギリスが支配していた地域から生まれた独立国…という風に考えることもできそうなのですが、ちょっと変わっているのが、「そこで独立を掴んだのがユダヤ人だった」という点だと、私は思います。
イギリスに権利を奪われた「オスマン帝国人」がその復権を叫んだのでなく、当時この土地に住んでいてどのアラブ諸国にも属しない「アラブ人」が独立を求めたのでなく、大多数が別の地域に離散していた「ユダヤ人」が国を作った。
そこが、イスラエル建国の特徴なのかな、と私は思うのです。
そうなると、「2000年の時を超えて戻ってきた」という言い方が正しいと言えば正しくもあるのですが、実はこの土地にずっと住み続けていたユダヤ人も一定数いるという事実もあります。
イスラエルは移民国家で、建国当時は大多数が諸外国から逃げてきた難民が多数派ではありましたが、「少なくとも曾祖父母の代からずっとイスラエルに住んでいる」というような家庭もあります。多数派ではありませんが、非常なレアケースというわけでもありません。イスラエル建国前にここに住んでいたユダヤ人もまた、パレスチナ人でもあるわけです。

国連で承認された「分割案」

さて、建国と同時に周辺アラブ諸国がイスラエルに対して開戦したため、「イスラエルは他の国の土地にポン!とやってきて国を作った」というイメージを、日本人は抱きやすいのですが、イスラエルは、直前までこの土地を支配していたイギリスから「この土地に、ユダヤ人のための国を作ることに責任を負う」という約束「バルフォア宣言」を取り付け、さらに国連決議では、この地の委任統治の終了および分割と独立についての案が承認されています。
(最もイギリスは、同時期に同じ土地について、「フセイン・マクマホン協定」、「サイクス・ピコ協定」を結び、アラブ人にも、ヨーロッパにも約束しているといういわゆる「三枚舌外交」を行っていたのですが。とはいえこの三枚舌外交にも、「フセイン・マクマホン協定」にパレスチナの地は含まれていなかった、とか、「バルフォア宣言にあるユダヤ人のホームランドとはユダヤ人の国でなく居住地を意味していた」というよう様々な解釈があるらしいのですが、イギリスの言い分はまた別の機会に勉強したいと思います。)
さらに、建国直後、戦争を仕掛けてきたのが周辺諸国であることも特徴です。国連は、この土地を「ユダヤ人の土地」と「アラブ人の土地」に分ける承認をしました。決して「ユダヤ人の国だけを作る決定」をしたわけではないのです。
周辺にそれぞれ国を持っていたアラブ諸国は、イスラエル建国と同時に戦争を仕掛けてきた。でも世界中の予想に反してイスラエルがその戦争で一定の勝利を収めてしまった。そこでどのアラブ諸国にも属さない行き場を失ったアラブ人が生じ、「パレスチナ難民」が誕生したのです。(一部のアラブ人はイスラエルに属し、ユダヤ人ではないイスラエル人として生活しています。)
私は歴史や中東の専門家でもありませんし、歴史に「たら、れば」は存在しませんが、もし、周辺諸国が国連のこの分割案を尊重して戦争を開始しなければ、分割されたこの土地の一部は「パレスチナ」、一部は「イスラエル」という風に二国が出来上がっていたのではないでしょうか?いや、国連はそれを想定してこの「分割案」を作ったのではないのでしょうか?「パレスチナ」という国を認めないのは、本当は一体誰なのだろうかという疑問が私には残ります。

続きは次回へ

長くなりましたので、続きは次回へ。次回は建国されたイスラエルについて考えたことをまとめていきます。

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