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スタートアップネイション・イスラエル人の考えていること…食べ物を粗末にしたら罰が当たる?

こんにちは、イスラエル在住のアザルです。
皆さんは、「食べ物を粗末にしてはいけない」と言われたらそれはもう、当たり前のことだと思って納得しませんか?

今時の日本ではどうかわかりませんが、私が子供の頃は、学校給食でも何でも「配膳されたものは残さず食べる」「好き嫌いはしない」これは絶対的な至上命令と言っても良いものでした。
三つ子の魂百まで、今でも私は、食べ物を捨てるのには結構な勇気がいります。

日本からいらっしゃるお客様たちをご案内するとよく目にするのは、イスラエルのレストランで出される食事の量の多さに辟易しつつ、目を白黒させながら、本当に頑張って、最後まで出されたものを残さず召し上がられる方たち。
「食べきれなかったら残しても大丈夫ですよ」と言っても、「いえ、食べ物は捨てられないんです。」とおっしゃる方も結構いらっしゃるのです。
やっぱり日本では「食べ物は捨てない」、これは価値観としてかなり上位にあるんだと思います。

子供の頃はこの考え方って、万国共通、世界人類の普遍の価値観だと思っていました。
けれど、成長するにつれ、そして日本以外の国を見るようになるにつれ、実はこれって人類共通の普遍の価値観ではないのでは?と思う出来事がいくつかあったのですが、割愛して、一足飛びにイスラエルで暮らすようになってから、これと全く反対の価値観、「その食べ物を口にしてはいけない=捨てなければいけない」、というものが存在することを知りました。

これが「コシェル」、英語読みでは「コーシャ」、日本語で言うところの「食物規定」です。

日本ではオリンピックが来年に控えていることもあり、最近は、イスラム教の「ハラール」という食物規定を守った食べ物について耳にする機会もあるかと思います。
日本でも「イスラム教徒は豚肉とアルコールを摂取しない」は比較的広く知られていますね。それの、ユダヤ教版が「コシェル」です。

と言っても、イスラム教もキリスト教も、もともとがユダヤ教から派生した宗教です。イスラム教の食物規定は旧約聖書の規定を元に簡素化している部分も多く、食用可能な屠畜方法など、ユダヤ教の食物規定に重なる部分も多々あります。

大きく違うのはアルコールについて。ユダヤ教ではワインは宗教的な儀式に使われる神聖な飲み物とされているので基本的に禁止ではありません。

それからユダヤ教のコシェルは、原料だけを取って食べてよいか悪いかを決めるのでなく、その育て方から屠殺方法はもとより、調理方法や調理器具、調理の時間帯や食べる組み合わせなど、ありとあらゆることに口を出してきます。

例えば、イスラエルで育てられている食用の家畜たちは、「過ぎ越しの祭り」という食物規定のさらに厳しい時期になると、彼らも食物規定が厳格に守られた飼料を食べます。
(家で飼っているペットのエサも、過ぎ越しの祭り期間中は規定が守られていないものは売ってくれないので、規定の守られているものを探し出して買うか、祭りに入る前に買いだめするかしなければなりません。)

農作物の育て方にも規定があり、同じ農作地で続けて作物を取っていいのは6年まで。7年目は土地を休めなければなりません。

それから、もちろん安息日に調理された食べ物はコシェルでないと言えるでしょう。安息日には屠畜もされません。(イスラエルで安息日明け、日曜日の午前中スーパーで売っている肉は先週の残りの肉ですよ!要注意!日曜日は肉を売らないスーパーも多数あります。というか、イスラエルでは日曜日午前中は肉が流通していません。)

「子の肉を親の乳で煮てはいけない」という聖書の記述から、乳製品と肉製品を合わせて調理されたものは、どんなに厳格なコシェル体制で育てられて屠殺されたものでも、もう、アウト。
チーズバーガーやサラミののったピッツァ、クリームで煮たビーフシチューなどももちろんダメ。(→これを言うと「親子どんぶりもだめですね」という方もいますが、卵は乳製品ではないので、これは肉の食事としてOKです!)

もっと言うと胃の中でも乳と肉を混ぜないように、肉の食事の後のコーヒーはミルクなしか、豆乳などの代用品を利用。

海のもので食べてよいのはウロコのあるもののみ。これもそう聖書に書かれているためなのでエビ、イカ、タコ、カニ、貝などは全部アウト!
(同じ地中海沿岸の国イタリアではイカ墨パスタとか海鮮リゾットとかいろいろ、皆おいしいものいっぱい食べているのに!!!目の前に豊かな海があるというのに!!!悔しいです。)

もっと厳格な人は、食器や台所の流しも肉用と乳製品用に分かれていて、肉用の食器を洗うスポンジはピンク、乳製品用の食器を洗うスポンジは青、などというふうに決めている家もあります。
食器も混ぜてはいけないのです。

コシェルを守りたくてもめんどくさい人はもう、家の中には肉製品を一切入れない。家で作る食事は乳製品のみ。
肉が食べたければ、コシェルレストランの肉料理を食べればよいわけです。

こんな感じで、ちょっと思いつくだけで、あれもだめ、これもだめ。
もう、とにかくうるさい!!!

ここまで読んで、お分かりになった方もいると思います。ユダヤ人にとっての食事とは、おいしく食べたり、楽しく食べたり、栄養のバランスをとって食べたり、残さずように食べることは、もう、二の次、三の次、四の次。

ユダヤ人にとって食事とはイコール「既定を守ること」。これが至上命令なのです。
覚えていますか?日本人にとっての食に関する至上命令。「残さず食べること」。
価値観が、全然違うのです。

日本人が食べ物を残すことに罪悪感を感じ、好みでもない上にもう満腹になっても配膳されたものを残さず食べるときの気持ち(=食べ物を粗末にしたら罰が当たる)と同じように、もしくはそれ以上に、彼らは食物規定が守られていないものを食べたくないのです。(これを食べたら罰が当たる的な?)

それでも、イスラエルにはいろいろな人がいます。ユダヤ人でも、食物規定を全く守らない人はたくさんいます。豚肉を使った食事も平気でする人もたくさんいます。
それでも土壌として「食物規定」の存在は大きいので、それを守らない人でも、菜食主義、自然食主義、〇〇食主義…という食べ物を(私に言わせれば)選り好みする人が、イスラエルにはたくさんいます。

コシェルを守ることに比べたら、そのくらいたやすいこと、可愛いこと、何でもないことなので、好き嫌いなどに非常に寛容なのです。

日本でも最近はベジタリアンだとかそういった動きもあるようですが、欧米諸外国に比べて少ないのではと思います。それはやはり、食に対する基本姿勢が「粗末にしないこと」だからだと思うのです。

それでは最後に、食べ物を粗末にしたら罰が当たるのか?その答えは?

んんんん~、苦しいけど、No!!

だって、日本では食べ物を粗末にしてはいけないという一大共通価値観があるにもかかわらず、食品廃棄量が世界でもトップクラスという事実だってあるじゃないですか。

日本人に罰が当たってほしくないです。

でも、やっぱり、罰が当たりそうで、なんだか居心地が悪いのです。

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