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飛ばした怒りの向かう先

私はよく怒る女だ。ただし、家の中にかぎり。外では怒らないようにしている。溜め込み溜め込み、気持ちをぎゅーっと小さく圧縮して、家に帰ってどばーーっと吐き出す。受け止める家族は災難だとおもう。だって、家族には関係のないこと、知らない人のことで怒っているのだから。でもそのときの私の熱量はまるで「目の前のあなたに怒っているのですよ」という具合。

怒ったこと。今となっては、というより、その出来事があってから2時間後には怒りなんてものはすっかり冷めてしまっているのだけれど、私は怒るという行為に執着してその1週間は頭のどこかもしくは身体のどこかに怒りの爆弾を携えている。一応は冷めて鎮火しているはずだけれど、いつどこでマッチが、ライターが姿を現わすかわからない。それが起こらないことを祈るのみ。

けれども、外では怒るという感情は御法度なので(さてはできないのかもしれないな)、家で引火しないことを願うのだ。

家族に対して怒りのエピソードを披露しているとき、それは脚色、着色された物語になっているかもしれない。本当の気持ちは結局、裸で、露骨すぎて、放出してしまうと自分が傷つくことがわかりきっているから。

全部ぶちまけたら楽になるなんて、あんな台詞は嘘だ。ぶちまけたらぶちまけた分だけ自分に同じ熱量のなにかが跳ね返ってきて、時には大火傷を負ってしまう。たとえば、相手が私を蔑ろにしていることが露呈してしまうとか。気付かないふりをしていたのに、目を向けなければならなくなったりとか。

なにも手の加えてない本音を誰にも言うことができない私には、夜に2回、自分と向き合う時間がやってくる。シャワーと枕。

気持ちを頭につらつらと並べて、たまにぽつりと口から飛び出してしまいながらもシャワーでザーッと流す。

寝床は寝る場所。なにも考えずに寝ることだけに集中したいのに、枕に顔を沈めて気持ちを整理することもある。長い時で3時間。文字通り枕を濡らすこともしばし。

怒りに直面したとき、平静を装いながらも私の頭の中は混乱困惑が渦巻いている。それでも結局は自分の機嫌を自分で取ることができると知っているので、それなりにやり過ごして平穏を取り戻す。そのとき、私の怒りはどこにいるの。

怒りとか悲しみとか、表に出さないことを「大人」だと思っていたけれど、それは少しちがうって最近憧れの人に教えてもらった。



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