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雨の日は良き

このnoteは、『基本読書』の冬木さんが、noteに書いた私(椿りつ)のコメントを消してしまい。挙げ句の果てにはコメントができないようにブロックまでしてしまい、ショックのあまり試行錯誤しながら書き続けている、noteです。毎度、冬木糸一にかこつけて書いておりますが、今日は『雨の日』についてです。どうぞ、ゆっくりされていってください♪

冬木糸一と雨の日、と言ったら、これしかないでしょう。

「雨が降っている。作戦行動中に降る雨は嫌いだ、と慧慈軍曹は思う」

冬木さんが『基本読書』を始めたきっかけの本、
『膚(はだえ)の下』神林長平著の、冒頭です。
冒頭で、雨が降ります。しかも、「嫌い」です。

とても厚い本で、しかもシリーズもの。同じ世界線の他の時代の話も長め、2巻組などで発売されているので、シリーズの別のお話は読み通しておらず、揃えながらも目下、気長に眺めています。

この本に関しては、冬木さんが、「造られたものたちが創造主を超える」話だ。と、熱量高く語られていたのを何度も読んだ記憶があります。

一読しましたが、それが一体、どんなにすごいことなのかがともかく分からず、『新世紀エヴァンゲリオン』みたいに父殺しのオイディプス神話?に分類されるようなお話なのかな。それなら、なんでこんなにすごいことだって興奮するほど冬木さんは暑くなって語られているんだろう?

と、ずっと疑問に思っています。
ご本人にも直接伺ったことがあるのですが、なんだかうまく、伺えなかったです。この辺り、冬木思考を翻訳できる方がいらしてくださったら、どちらかでインタビューや手記にでも、まとめられていただけたら嬉しいです。

本文の中で記憶に残っているのは、慧慈軍曹と一緒にいた犬のこと。時空を超えて、届くとは決まっていない手記を、どこかで出会った女の子に向けて書いている慧慈軍曹の姿です。物語の時間の中では死を迎えている人物が、文字を通して語っていることそのものが「生きて」います。

『SF超入門』出版の連続記念インタビューの中でも、冬木さんが話題にされていましたが、文字媒体というのは、その個体の死後も残り、人類の死後も、別の生命体の意識にのぼる可能性が最も高い、「生」の痕跡なのかもしれません。

咲いたばかりの紫陽花の近くに、てんとう虫の幼生がいました。
雨にうつくしく咲く花と、お日様を意味する名前をつけられた虫。
私がみると、雨と陽が同時につながる一瞬です。

その思考体の生と死が同時に存在すること。
アーカイブされていくこと。
思えば記録や記憶は、生と死の痕跡なのでした。

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