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自分の心を映し出す世界

自分の日常に広がる世界は
自分の心が映し出す世界

そんなことも学んでいる日々です

心の世界(心理学)も
専門用語やセオリーで埋め尽くされた
学問の分野という中に「も」あって

学者という立場で
長年の研究をされている方もいるし
学校や講座という形で
授業を展開しているし

そうなると
とても奥が深くて
複雑で
学びを深めれば深めるほど

訳がわからなくなる

なーんていう感覚に陥ることも
多々ある訳です

それだけ真剣に向き合いたい
そう思う奥には

それだけ心が傷ついて
悲しい思いもたくさん経験して
諦めや絶望
どうして私は生きてるんだろう
なんて朝目が覚めると悲嘆してしまう
そんな日々から抜け出したい
もっと軽やかに
爽やかに
上を見上げてスキップするような
そんな毎日を
ただただ過ごしたい

かなり必死なほどに

思い詰めたからこそ
開かれた扉に 最後の救いを乞う思いで
一歩を踏み出して

ふむふむと学ぶ時間が右上がりに増える中

だんだんと

ふむ?
ふん?
は?
へ?

なんて感じで

あれ?
ちょっと待って待って
なんか違うぞ

と感じる場面が増えているような
感覚もあるんですね

それがこの記事のタイトルでもあ
冒頭で記した

自分の日常に広がる世界は
自分の心が映し出す世界

苦しいことも
悲しいことも
嬉しいと思える出来事も
なんだこのヤローと怒れる人々すらも

自分の心が感じ取ったことが
そのまま目の前に現れている「だけ」のこと

私が今「え、そういうことなの?」という気づきは
「色々難しく考える必要はなくて
心の世界というのは
単純に「だけ」ってだけなんだよ

ってことらしいという

あんだけ眠れなくて
もう嫌だー
つらーい 悲しーい
ってもがいていた日々も

全ては私の心が「感じたまま」を
世界に映し出していた「だけ」
なんですよ

なんてポロッと言われたら



なにおーーーーー???

ってマグマ噴火するごとく
言いようのない怒りが噴出するって
わかりますか?

山越え谷越え
ボロボロになって腹ペコになって

ようやく、ようやく辿り着いたお釈迦様が

「ん?何しにきたん?
まぁゆっくりしてってやー」
って横になって鼻ほじってたとしたら
(いわゆる『涅槃の図』)

腹立つのは仕方ない
って私は思います

散々プンスカし切ったら

なーんだー

ってなるんですけどね

とどのつまり
自分なりの解釈になるんですが

自分をいじめていると思う目の前で繰り広げられる現象は
自分が心の中で自分をいじめているということ

自分を大切に扱わない人に囲まれている毎日にあるとしたら
自分が自分を大切に扱っていない状況を作り出しているということ

になるみたいです

腑に落ちるまで
「今目の前に現れている出来事って
つまり私が自分に対してそう思っているってこと?」

って毎回意識して問いかけてみると
少しずつ見える景色の角度が違ってくるかも

生きてきた年数だけ時間はかかるかもしれない

でも気づいた時に「やってみる」と
次の瞬間から 違う角度の自分が登場してくる
それは間違いないです

あなたの周りは
どんな景色が広がっていますか?

あなたの心が「嬉しいなぁ」と
思える人や出来事で満ちているでしょうか

それとも

苦手だなぁと思う人に囲まれていたり
自分に対して厳しい要求ばかりしてくる人がいたり
その場所に向かう時の心が重かったりしているでしょうか

それらの景色が
自分の心の中の世界だと言われたら

どうなって欲しいと思うでしょうか

あなたの目に見える世界は
どんな景色が広がっているんでしょう

☆あなたがあなたらしく 笑顔で過ごせますように☆

皆さんの心の平安をお祈りしています

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今日の日めくりカレンダーの言葉
無理しない
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