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こんなケースもあります。(不登校シリーズ2)/ 花園-ツバメルーフSP

私はいわゆる受験戦争世代で、昭和42年、ひのえうまの翌年に生まれ、子供の数がぐんと増えた年代です。勉強は嫌いじゃなかったのでなんとか頑張れたけど、興味を持ったり考える前に問題を解く方が先で、問題を解く前に公式を覚えてしまっていました。
でも当時は、行きたい大学に入るためにはそれが近道だと思ってた。

私の息子は、中学2年の秋、とつぜん不登校になりました。


「俺がやると決める前に、やりたいと思う前に、どんどん(塾の)教材が先に進んでいく。そういうもんやと思ってずっと頑張ってきたけど、もう無理。教科書ひらくだけで吐きそうになるねん。さいきんは(学校の)チャイムの音を聞くだけで苦しくなってきて・・」
昨年の10月上旬だったかな、授業中に気分が悪くなって早退した翌日から、息子は学校へ行かなくなりました。


そんな時、ふつうなら「ど、どうしよう、まずは先生に相談、いや、ちょっと無理してでも行かせるべきか? いや待て、身体のほうが心配だし・・」なんて焦る場面でしょうが、私は落ち着いていました。
なぜかって。
愛子さんも書いてましたが、ツバメルーフでは不登校案件はスタンダードで、ネガティブなイメージなんて無く、それまでもいろんな子供や親がなんとかしようともがいてサバイバルするのをずーーっと見てきたから。それは一筋縄でなく、みんなそれぞれ違った個性的な理由があって、学校へ行かない選択をしているのです。
あ、自分にもその番が来たんだな、と思いました。
なにが大事って、息子の心と命です。まずはそれを守るため、迷わず学校へ行かない決断をしました。

息子はずっと成績が良かった。塾でもすこぶる良かった。受験には強いだろうと誰しも思っていました。でも、日々、塾で出される大量の宿題をこなすのが彼にはいっぱいいっぱいで。それ以上に、自分がやりたいと思う前に先回りされることに耐えられなくなって、ぱちん!とはじけてしまった。なので、ひとまず3密状態だった勉強から隔離してみることにしました。

塾も学校も行かない。家でも教科書類は目に付かない場所へ移動。
学校へ行かなくなって塾もやめて、時間がたっぷりできて、HuLuで見たかったアニメをごっそり見て、マイクラもやりたい放題、漫画も読みまくって、感動して涙して、息子は生き生きしてきた。
その間、一切、勉強はしませんでした。
ただ、彼が得意なロボット製作で私の仕事を手伝ってくれたので、大事な打合せに同行してもらっていました。すごく助けられたし、思いがけず息子と一緒に行動する時間がたくさんできて、楽しかったなあ!

もうしばらく学校へは行かないだろうし、「コロナ明けたら一緒にイタリア行く!?フィレンツェとかヴェニスとか。きゃあ楽しみ!!」と盛り上がっていた矢先、あれは学校を休み始めてほぼ1ヵ月が経ったころ。
「俺、明日から学校、実験的に行ってみるわー」と宣言し、息子はそのまま学校へ復帰していきました。実は着々と復帰計画を立てていたようで、私はそれを知る由もなく、思わず「なんで?」と返しました。

「なんで学校へ行くの?」
「だって、友達に会いたいやん。話したいし遊びたいし。みんな俺のこと待っててくれてるねん。まだ授業はきついかもしれへんけど、無理せんし、とにかく試してみるわー」と。

今では教科書を広げても拒絶反応はなく、やりたいときだけ勉強しているようですが、やっぱりあの時すぱっと勉強から離れて、心身をリセットできたのかなあと思います。
自分がやると決めてないのにいつの間にかやらされてるのはしんどい、と今ならよおく分かるけど、10代の私はそんな受け身の状況を疑う余地がなかった。でも息子はそこをスルーしなかった。
勉強はやらされるものじゃなく、やりたいことをやりたいときにやりたいだけやれる究極の快楽なんだろう、と今は思います。

で。さいきん私は英語をびしばし勉強しています。もう、やりたいから楽しくて、たまにうまくしゃべれると嬉しくて仕方がない。これは自分の仕事はもちろん、11土designの仕事を海外で紹介したいというモチベーションがあるから。


でも、ビジネスとはなーんの関係もない、なんでもない研究をしてみたい野望もあります。
実は『(海の)ウニと(山の)クリは、遠い親戚である』という仮説を立てていて、それを証明してみたい。どっちもトゲトゲだし、身が黄色いし、超美味だし、ルーツは同じかもしれない、って思ったことありませんか? 息子は「んなわけないじゃーん」って呆れてるので、まだちょっとロマンが足りない気がする。

イタリアに連れて行かねば!

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