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適応障害の私に刺さった「僕らは奇跡でできている」の名言

僕らは奇跡でできている


「僕らは奇跡でできている」は個人的に今までで一番好きな作品だ。

アクションではない。 
サスペンスではない。
ラブストーリーでもない(?)。
SFでもない。
少し変わり者の主人公 一輝が
周囲の人と繰り広げるヒューマン・ドラマである。

大波のような出来事や展開があるわけではないが、
見終わった後にすこし、
前向きにさせてくれるような
ありのままの自分を受け入れてくれるような
そんな温かくて優しい作品。

特にお気に入りのフレーズ


作中では童話の「ウサギとカメ」についてたびたび触れられている。

ウサギはスタートから駆け出し、
カメが追いついて来られないのことに余裕をみて寝ていると
コツコツ歩いてきたカメに最終的に追い抜かれる。
自分が有利であることに慢心していると、コツコツ積み重ねた者に負けてしまう、といった教訓を教えてくれる。
これが一般的なウサギとカメのお話だ。

しかし、一輝と登場人物の男の子はまったく違う結論を推測する。
ここに関連して、
私が作中で特に気に入っているフレーズがある。
主人公の一輝が通う歯科医院の先生 育美が言ったこのひとこと。

「自信がないから、本当の気持ちを言えなくて、

 自信がないかから、自分がどうしたいかより、
 人にどう思われるのかが重要で

 そうやって自分をいじめてました。」
「私はウサギです。
 自分はすごいって証明したいんですよ。」

育美があらゆる環境の変化が訪れて、
自暴自棄になりそうなときに一輝の放った言葉に共感したときのシーンだ。
育美は、自分自身のことをコツコツ努力を積み重ねる努力家である、カメであると捉えていた。一般的な童話の通りであればそうだろう。

しかし、一輝の解釈を知ったことで
自分は臆病者で、自分をよく見せようと必死でいること、
そんな自分に疲れてしまったことに
育美自身が自覚した瞬間だった。


なぜ、適応障害の私にこのフレーズが刺さったのか



それは、働いていた頃の自分と育美の姿が重なったからだ。

自分の意思より周囲に認められるために、とか
評価されなきゃ意味がない、とか
いつも仮面をかぶっている自分とか
自分の意思を蔑ろにしたから、自分の好きなものがわからなくなるとか
結婚や成功を手にする友人や同僚を横目に見て
自分がすべてを捧げている仕事で評価されなくては
生きている意味がない、とか
優等生であり続けなくては周囲から捨てられてしまう、とか

最初はやる気に満ちていても、
確かに、楽しくはなかった日々。

このお話に出会って、
「そんなになってまで、ウサギでいることに意味あるの?」
と一輝に言われた気がした。

ウサギの仲間がいるところは一見華やかで、
周りからの羨望も安定もすべてが手に入るようなそんな場所だ。
でもその場所で「ウサギであること」が重要視されてしまえば、
それこそ、ウサギでいられなくなったら捨てられる。
私は、どんなにウサギの顔をするのが得意でも
四六時中、ずっとウサギで居続けることなんてできない。

そう思ったら急に、自分が自分自身でいられる、
カメでいられる場所がとても愛おしくなって、気づいた。
私にとってのカメの仲間は、家族だということ。
こんな私でもカメでいてもいい場所が確かにある、ということ。

このお話のおかげで、やっと
大事なものが何なのか自信をもって言えるようになった。

私に出会ってくれて、ありがとう。

#読書の秋2021

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