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アートとは何か

誰かが作った何かを見て、なにか考えたり感じればそれが現代のアートなんだと思う。

アートの値段は、作品を取り巻くストーリーや歴史、作者の背景などにより、注目を集め、時に高値がつけられる。

しかしそれは、希少性だったり話題性、評論家やコレクターなどの市場性によってもたらされる価格である。

本来のアートの価値は、誰かがそれを見て何かを感じた時に次々と生まれているものであり、オークションでバイヤーが作品を落札したときに決まるものではない。

作者から見たアート

アート作品を作る側として、アートとは、純粋に言えば、見た人にメッセージを伝えるという行為がアート活動なんだと思う。
だから、誰も見なければ、それはアートとして機能しないし、見た人が何も感じなければ、価値がないと思う。

商業アート

良くも悪くも、商業アートというものが存在する。良い点としては、アーティストが時間やお金と労力を使い、ブランディングさせた作品を販売する事で、対価を得る事ができるようになったのは、商業アートによる功績が大きいと思う。

前述の、純粋に、見た人が何かを感じ、それがうまいことお金に代わり、それが作者が生きてる間の創作活動の糧になるというは、理想ではあるけれど、現実にはなかなか難しい。
だから、見方によっては商業アートと揶揄されるものであっても、アートと呼ばれる文化的活動を支えるためには、必要なのかと思う。

テクノロジーの受け皿としてのアート

テクノロジーが登場し、まだ有益な使用方法は見つかっていない。そこでそれをアートという形で、社会に示して、そこから次なる活用方法を模索する。プロジェクションマッピングだったりVRだったりまだ社会で活用しきれてないテクノロジーを、アートとして提供する。それは、現代のアートが担うことにした、一つのテーマなのかもしれない。

現代アートの楽しみ方

従来の絵画だと、上手に描けているとか、表現が豊かとか、画家の生い立ちを感じさせるとか、比較的感想を持ちやすいのに対し、マルセル・デュシャンの「泉」とか見ても、えっ?それ便器でしょ?と思うわけで、やや理解に苦しむものも多々ある。

しかし、そんな謎の物体や、抽象画が、許容されているのは、鑑賞者が自由に解釈し、対話することが、現代のアートの価値として成立しているからなのだと思う。

だから、現代アートって難しいと思っている人は、それを風景の一つだと思えば良いと思う。
風景を見て何かを感じることもあれば、何も感じない時もある。
すべての風景に具体的な意味があるわけではないし、アートとしての価値があるわけではない。

誰かがそこに展示してあるならば、誰かがなにかを思ってそれを作ったのだと思う。
明確なメッセージがあってそれを作られたものもあれば、特になんとなしに作られたものもある。

明確なメッセージをもった創作物が評価されることもあれば、具体的なメッセージ性はなく、鑑賞者の想像力により、価値をみいだされる場合もあるだろう。

とまあ、私自身、これといってアートについての専門知識があるわけでもないのですが、私の思う現代アートについて書いてみました。

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