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怒りの価値について

今回は怒りについて書いてみたいと思う。
最近たまに無性に腹立たしい事があって、うーんこれ、脳の老化により、ブレーキが弱まってるのだろうか?
とふと心配になり調べてみた。

さらに、アンガーマネジメントの観点で捉えるなら、この怒りの度合いはどの程度で、この怒りに価値はあるのか?もし価値がないとするならどう対処すべきか?あるいは、価値ある怒りとは、そもそもなんなのだろうか?

怒りというのは、基本的に自分が予測しなかった事。もしくは、アウトオブコントロールな状況において発生する感情だと思っている。
裏を返せば、その状況を事前に予測しておき、自分がそれをうまく回避し、意図した動作に持っていく事ができていれば、怒りもおのずと回避できるはず。

端的に言えば、思い通りにいかないが、解決策が見当たらず思考停止、しかたがないから子供のように泣きわめく。つまりそれが怒りである。
じゃあ、なんでも的確に予測できるか?あるいは、予測できたとしても、適切な回避能力が自分に備わっているかというと、なかなかそうもいかず、なにかと思い通りにはいかないのが、世の常なのかもしれない。

子供が駄々をこねる理由というのは、大人からしてみると大概にして、小さな理由である。なぜそんな小さな事で怒りを爆発させるのかというと、脳がそれに対応できてないという理由に加えて、それを解決する能力が備わってないからでもある。

一方、大人が怒るような理由とはなんだろうか。まあ大人だからちょっとやそっとのことで、怒ったり駄々をこねたりはしないだろうと思いきや、巷で見かける怒っている人の怒りの要因は、大概にして些細なものだったりする。特に知らなかった系の怒りというのは、側から見ると決めつけが激しい、能力不足、確認不足などといったところが多いように思う。

人ははぜ怒るのか?

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不公平:人々は自分や他人が公正でないと感じたときにしばしば怒ります。
脅威:物理的な脅威や人格への攻撃、自尊心や価値観への脅威などが怒りを引き起こします。
フラストレーション:達成したい目標が妨げられたり、予期せぬ障害が発生したとき、人々は怒ることがあります。
権利の侵害:自分の権利が侵害されたと感じると怒りを感じることがあります。
ということで、言いたいことはよくわかる。

とはいえ、社会は所詮公平ではないし、表面的に比較して、ずるいと思うのが勝手だが、それらに、どれぐらいの価値があるのかは甚だ疑問である。

抗議デモのように、一見公平性を訴えているようで、それって無意味なんじゃないか、とか、その考え方おかしのでは?と思えるデモをよく見かける事がある。全ての抗議活動に当てはまるものではないが、いくつかの抗議デモでみられる、その違和感の正体は、怒りと主張が噛み合ってない場合が多く、ただのフキハラになっているからである。

現代は、ある一定の価値を、複数の人が共感しうるものは、価値をお金に変換する事ができるし、お金を使って宣伝活動を行えば、周知や共感を加速する事ができる。例えば、マスメディアを使った広告は、マスにメッセージを伝えるには効率が良いといえるだろう。ということで、KPIのある抗議デモを行おうと考えているのであれば、多くの人々を宣伝のためにタダ働きさせるようなものより、お金を使った宣伝活動を検討いただきたいと思う。

話は少し逸れたが、続いて「脅威に対する怒り」これは、例えば新型コロナウイルスという脅威があり、それになんらかの対策を行うとするなら、これは必要なので、これは本能レベルで必要な要素だと思う。

フラストレーションというのは、おそらく環境型のストレスであるので、これは自身でコントロールできる場合もあれば、
無理ゲーという場合もあるだろう。
なので、一概には言えないが、ここは境遇がよければ比較的回避できそうな項目である。

権利の侵害は、裁判などでよくでてきそうなタイプの怒りだが、もっと小さなスケールで例えるなら、自分が食べようと思っていた、プリンを
知らない間に、家族に食べられたとかそんな所かと思う。

まあ結局のところ、欲があるから権利を主張するわけで、すべての煩悩を取り払えば、プリンだろうが、大金が絡む利権だろうが、
所詮、不要な争いのかもしれない。

加齢による怒りの傾向についても調べてみるが、健康要因などはあるえるが、「人それぞれ」というようで、これも一律ではなさそうである。

フキハラ

最近「不機嫌ハラスメント」というのをたまに目にするが、これは怒りに対する一つの個人の振る舞いであり、これはこれでなかなか厄介な社会問題だと思う。

フキハラというのは、会社にとどまらず、一定のコミュニティにおいて、周囲に影響して広まりやすいハラスメントであり、コミュニティの生産性を低下させる要因にもなり得る。

怒りというのは、個人の価値観による部分が大きく、一様な方法で最適化するのは難しい領域かと思うが、世の中価値ある怒りというのは結構少ないと思う。

もしあるとするならば、怒りの原因だけでなく、本質を理解し、それを回避、さらにはウェルビーイングな社会を実現する所に、注力すべきだと思う。

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