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髪を切るということ

「散髪」
僕にとって面倒くさいと思ってしまうものの一つです。

おしゃれに全く興味のない僕にとって、散髪はただ髪を短くしてもらうだけの作業に過ぎません。
髪を染めたいとか、パーマを当てたいとか、思い切って刈り上げてみたいとか…
一切そんな願望はありません。

あまりにも長すぎると清潔感が無くなってくるので、極限まで長くしてバッサリ切ってもらって、また極限まで長くしての繰り返し。

時間もお金も掛けたくないし、丁寧に聞いてもらうほどの要望も無いので、年間数回1000円カットに行って終わり。
その1000円カットでさえ、最初にちょっとどんな髪型にしたいか伝えるのがめんどくさいなと思っているくらいです。

そんな僕が、先日散髪に行った際にこんな光景に出くわします。
自分の番号が呼ばれ、少し緊張気味にカットに向かうのは小学校低学年と思しき一人の男の子。平均的な長さの髪型で爽やかな子です。

席に着き、その子から出たのは「坊主にしてください」というオーダー。
驚いた店員さんは、何度も「坊主で良いんだね?」と確認し、挙句の果てに店の外に待っていたお父さんにも確認しに行っていました。

お父さんのオッケーも出ていよいよ散髪開始。
10分ほどで作業は終わり、きれいな丸坊主に変貌を遂げ少年は帰っていきました。

「初めての坊主だったのか、伸びてきたからまた坊主にしたのか…」
「彼は坊主にしたかったのだろうか?それともお父さんに言われてなのだろうか?それとも所属しているスポーツクラブのルールとかで坊主にしているのだろうか?」

変な妄想を始めると止まらなくなり、以来散髪に行くとそれぞれの人の散髪の背景にある物語を妄想するようになりました(笑)

そして、何より感じたのは自分ではどうでもいいと思っていることでも、そこに大きな意味を持って生きている人がいるんだということを実感したことです。

これは多様性が叫ばれるこれからの社会を生きていくうえでは、大切な考え方なんじゃないかと思います。

僕の世代は48グループや坂道グループと呼ばれるアイドルグループがちょうど世代で、ファンクラブに入ったり、コンサートに行ったりしている友達も沢山いました。
しかし、アイドルグループに興味がなかった僕は「よく分かんない趣味だなぁ」と思っていました。
しかし、自分がガールズグループのBiSHのファンになり、ファンクラブに入ったり、コンサートに行ったりすることで、ファンになる人の想いがなんとなく分かるようになりました。

自分が好きになると、BiSHをちょっとバカにしたり否定したりするようなことを言われると悲しい気持ちになりましたし、どんなことであれ自分はそういった表現をしないように、より意識するようになりました。

世代が同じでも、趣味嗜好がバラバラの時代になっていますし、価値観もバラバラ。
「なんでこんなものが流行るんだろう」と思うようなこともあります。

しかし、その裏にはそれぞれの人のこれが好きだ!これが良い!という思いが詰まっているはずです。
その思いを全て理解するのは無理ですが、否定しないことがとても大切なんだと思います。

僕にとってどうでもいい散髪にだって、大きな思いを込めている人が沢山いる。そう思うだけで、ちょっぴりでも人に優しくなれる気がします。

散髪に行く際は、ぜひこの文章を思い出してもらえたら嬉しいです(笑)


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