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看護師の卵のあなたへ。

きょうは忘れもしない、3月11日。
12年前のあの日、わたしは当時付き合っていた人と旅行をしていた。
遠距離恋愛になるため、小旅行を計画していたのだった。
旅行先は海の街だったため、いろいろな人に心配をかけていたことを後日知ることになる。

すでに帰路についていたが、お昼すぎに湾岸を車で走っていると、「津波が発生するので直ちに海沿いを離れるように」と災害を知らせる車が大きな声をあげていた。
わたしたちはそこで大規模な地震があったことを知った。
車内にいたためか揺れに気付くことはなかったが、北海道の湾岸でも津波が来たという記録はあるので、海沿いを離れるルートを選択できたのは幸いだったと感じる。
スピーカーから警報を聞いたときには、すでに携帯電話の電波は届かず、家族や友人への連絡ができなくなっていた。
帰宅して2〜3日経ってからだろうか、電波が繋がり、一斉にいろいろな人からのメールや不在着信のお知らせが届いた。
こんなにもたくさんの人がわたしの身を案じてくれていることに驚いた。
不安定な電波状況ではあったが、わたしたちの住むところでは徐々に日常生活を取り戻していった。

その頃、わたしの実家にはテレビがなかった。
どのようにして情報を得ていたのか全く覚えていないが、mixiやTwitterで発信されていたものをキャッチしていたのだと思う。
東北や関東は混乱していたのだろう。
わたしは関東の病院に就職が決まっていたため、3月下旬に上京する予定であった。
電力不足や余震がある中、ひとりで上京するのはやはり不安であったが、看護師になると決めた以上、わたしが乗り越えるべき壁であり、看護師として地域や病院に対してなにか貢献できないかと考えた結果、上京するに至った。

上京する日に看護師国家試験の合格発表があった。
病院の入職者説明会や制服合わせがあったので、その日に旅立つしかなかった。
わたしは合格していた。東京で空港についた時に叔母から電話をもらい、共によろこんだ。

慣れない場所での一人暮らし。
テレビは事前に購入して引っ越しに合わせて配送してもらう予定であったが、福島の工場で大半が作られているらしく、その工場も被災したためテレビは全滅に近いという情報が流れてきた。
数日テレビのない生活を送るが、運良くわたしのもとにテレビが届いた。
これで外の世界の情報がわかる。

温かいごはんを食べるために、自炊をしようとキッチンに立つ。
コンロがつかない。電池がない。
スーパーにもコンビニにも、電気屋さんにも電池が売っていない。
ここは盲点であった。電池は災害グッズに必要だ。買える時に買っておくべきだった。

そんなこんなで、わたしの看護師1年目生活が始まった。
就職した病院の隣には看護専門学校があるため、そこの卒業生がとても多く、もうすでに仲良しグループができていた。
でも仕事だし、仲良しグループに属す必要はないなと思うと少し気が楽になった。

看護師としての慣れない仕事、病棟の人間関係、帰宅後に誰かと話せない寂しさ。
けれど、学生時代の同期も同じ状況で頑張っていると思うと、勇気が湧いた。
布団に入ると、余震で目が覚める。なかなか寝付けない。
当時の病棟主任に「最近どう?」と声を掛けられたので、「夜になると余震で目が覚めます」と言うと「仕事で疲れていない証拠だからもっと頑張らないと」と言われてしまった。
もっと頑張らねば。真面目なわたしは頑張ってしまう。

5月になって初めて3連休をもらった。
3連休前夜、仕事から帰宅したわたしは、あしたからなにしよう……関東だしいろいろ見てみたいなぁと想像を働かせていた。
都内の有名スポット、横浜の街並み。たくさん行ってみたいところがあった。
翌朝起きると、気持ちが悪い。起き上がれない。
なんども嘔吐した。ひとり暮らしの体調不良は心細かった。
食べるものがなにもない。でも食べられそうにない。
結局3日間寝込んで、3日目には症状は軽快した。
わたしの初めての3連休……。カムバック。

そして夜勤が始まり、いよいよ看護師という感じの仕事になってきた。
10月の夜勤明けには夏休みを取得し、1週間地元に帰省した。
社会人って感じがして、少し誇らしかった。
母や妹、親戚にたくさんお土産を買っていった。

なんだかがむしゃらに頑張っていたので、実家に帰省できたときには心底ホッとした。
母と話すと落ち着く。妹は相変わらずの年中反抗期だけど、たまに見るなら良しとしよう。
友人と学校にも行った。先生や後輩に会えた。
カラオケでオールナイトもした。すすきのの朝は夜みたいで、全然清々しくなかった。
すごく楽しかった帰省は終わり、また頑張らなくてはいけない所に戻ってきてしまった。
年に1回の帰省のために頑張ろう。そう思える場所があるからありがたいなと思った。

頑張って頑張って、お正月。
お正月は帰省すると思われたのか、3連休がついていた。
ひとりで年越しそばを食べて、いつもと同じように過ごした。
テレビはつまらない。駅伝にも興味がない。外は寒い。

あっという間に3月。
上京してから1年が経とうとしていた。
症例を決めて論文を書き、ケースレポートの提出を終えた。
無事に看護師1年目を終えて2年目を迎えることができた。

2年目以降の話はまたこんど。

1年目の看護師はとにかく、無理はしないで自分の心と体調と向き合ってほしい。
いや、2年目以降もそうだし、看護師に限ったことではないけれど。
精神を病んでしまってからでは絶対に遅い。
わたしは幸い、職場の環境に恵まれていたので心を壊すことはなかったが、女の世界は恐ろしい。
白衣の天使とはいうが、それは患者にだけであり、同僚や部下にはひどい態度をとり、汚い言葉で罵る。
それが普通にまかり通っているところもあるので、無理だなと思ったらもう頑張らなくてよい。
あなたを求めている職場はたくさんある。
3年勤めて一人前とかいう言葉もあるけど、3年勤めても一人前にはなれないから安心して。
なんなら、かの有名なフローレンス・ナイチンゲールは看護婦になって2年半で現場を離れているから。
看護師3年目でも一人前になったと感じたことはなかったし、毎日怖かった。
いのちを預かっていることへの責任感、いのちと向き合う重圧。
それは看護師生活をしていたら常につきまとい続ける。

とにかく、もう少しで看護師国家試験の合格発表だけど、就職する前にたくさん思い出を作って、たくさん遊んでおいで。
学生自体の仲間は一生だよ。
離れていても、子どもが生まれても、共に戦い抜いてきた仲間であることは変わりない。
大丈夫だからね。
一緒に頑張りましょう。しんどくない程度にね。


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