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物語の欠片 79

-レン-

 夜通し闇の浄化に努めていたレンたちは短い仮眠をとり、まだ混乱の残る城の中庭に集まった。
 其処で、結局それまで誰もカリンの姿を見ていないことに初めて疑問を持った。姫とローゼルは城の者にカリンを見なかったかと尋ねたが、皆、見ていないと答える。忙しい時に何処で何をやっているのだと憤る者まで居た。前回のことがあるのでレンとイベリスはカリンの家を見に行ったが、戻った気配はなかった。カリンは消えてしまった。
 城に戻ると、忙しく動き回っている官吏の中にあの男の姿が見えた。その姿を見た時、レンは自分の背筋が冷たくなっていくのを感じた。
「レン、どうした?」
 一緒に居たイベリスが尋ねた。
「カリンは……アルカンの森に行ったのかもしれない」
 それを聞いたイベリスの顔も蒼くなる。
「……まさか……」
 二人の頭の中には共に、カリンと森の主が話していた六百年前の物語があったに違いない。絶望した大地の化身は……アルカンの森に身を隠すのだ。
 レンは空に舞った。
「おい馬鹿、ひとりで行くな!」
 イベリスが止めるのも聞かず、レンはそのままアルカンの森を目指した。あっという間に城下町の城壁を超える。レンはそこで不思議な光景を目にした。
 アグィーラの北の門からアルカンの森に向かって、荒涼とした平原に一筋の緑色の道ができている。そこだけ、短い緑の草が生えているのだ。
「カリンが通った道だ……」
 カリンはやはりアルカンの森へ行ったのだ。泣きながら歩いたのだろうか。カリンはガイアをマカニにやってしまった。歩いていくしか方法はなかった筈だ。カリンの涙は森にとっては慈雨だと森の主は言っていた。
 レンは胸が苦しくなり、それを振り払うかのように真っ直ぐアルカンの森を目指した。
 アルカンの森へ着き、地上に降りる。中の森を目指して森の中を駆けた。やがて霧が出てくる。
 しかし、いくら霧の中を走っても、森の主の広場へ繋がるトンネルに出ることができなかった。
 レンは混乱した。
 寝不足のまま飛び、霧の中をひたすら走ったので息が切れている。近くの木に手をついて呼吸を整えた。そして、レンの中に恐ろしい考えが浮かぶ。
「僕は……もう中の森には入れないのか?」
 思わず声に出して呟いた。
 化身としての役割を終えたからなのか、それとも、六百年前同様、森の主がカリンを守ろうとしているのかは判らない。しかし、自分はもう中の森には入れないのかもしれない、そう考えると、目の前が真っ暗になり、レンはその場に膝をついた。
 カリンはきっと、ひとりで森の主の広場で泣いている。もう、誰もカリンを救ってやることはできないのだろうか。
 レンは拳を握りしめ、一瞬で気持ちを切り替える。
 族長なら、何とかできるかもしれない。
 この期に及んで族長に頼る自分が情けなかった。しかし、そんなことは言っていられなかった。このままカリンを失う方が嫌だ。
 レンはその場から空に舞い上がった。森の中なので、生い茂る木々の枝が翼に当たったが気にしていられなかった。
 なんとか無理矢理アルカンの森の上空に出ると、そのままマカニを目指して一直線に飛んだ。

 第五飛行台に降り、族長の家の呼び鈴を鳴らす。扉を開けたカエデの顔を見たレンは、身体の力が抜けてしまった。
「おい、レン。どうした?」
 支えてくれたカエデが尋ねる。
 その声を聞いて奥から族長が出てきた。その後ろに、ヨシュアの姿も見えた。族長とヨシュアは族長の部屋で話をしていたようだ。
 レンは覚束ない足取りで二、三歩族長に近づき、耐えきれなくなって膝をついた。涙が溢れる。
 族長は黙ってレンに近づき、自分もレンの傍に膝をついた。
「何があった?」
 優しい声でそう尋ねる。
「カリンが……」
 言葉が続かなかった。それを聞いてヨシュアが、まさか、と呟くのが聞こえた。カリンが無事であることを伝えたいのに声が出ない。
 涙だけが溢れて止まらなかった。
 族長が正面からレンの肩を抱く。レンの顔は族長の肩の辺りに来た。耳元で族長が低い声で囁いた。
「あの子は……生きているな?」
 頭の中に直接響くような声だった。レンは頷く。ヨシュアがほっと息をつくのが族長の肩越しに見えた。
「まだ命があるならば良い。お前も、よく無事で戻った」
 族長が再び頭の中に響くような声で囁く。その声を聞いているうちに、レンの心は少しだけ落ち着いた。ようやく涙が止まる。
「話ができるか?」
 族長が訊き、レンは頷いた。族長の肩から頭を離す。レンは小さく息を吐いた。
「すみません……カリンは無事です。でも、アルカンの森に閉じ籠もってしまった。追っていきましたが、僕は……もう、中の森に入ることはできなくなっていました」
 レンはその場で膝をついたまま、神殿での出来事を語った。カリンが夢に見たとおり石がすり替えられていたこと。しかし、レンたちは前もって策を講じていたため無事だったこと。あの男のこと。カリンがあの男の心の闇を浄化したこと。そして、そのまま姿を消してしまったこと。
「……アグィーラから森まで、緑の道ができていました。あれは、カリンが泣きながら歩いた道だと思います。カリンはアルカンの森に居ることは確かです。でも……もう誰も、あそこへ入ることはできない……」
 族長の部屋で、サルビアとアイリスの物語を語った時のカリンを思い出す。自分が争いの種になることを考えると、人とどう付き合っていいか分からないと言っていたカリンを。
 しかし、それと同じことが実際に起きてしまった。カリンはこのまま人との関りを絶つつもりだ。レンにはそう思えた。レンの目から再び涙が溢れた。
「そうか……」
 レンの話を聞き終えた族長はそうひとこと言って黙った。最後の頼みの綱であった族長が考え込んでいる。レンは絶望的な気持ちになった。
「……ガイアに乗って行くといい」
 不意にヨシュアが口を開いた。レンは涙で濡れたままの目でヨシュアを見る。族長も、ヨシュアの顔を見ていた。
 ヨシュアは笑ってはいなかった。しかし、悲嘆に暮れているようでもなかった。
「ガイアならば、アルカンの森の中の森に入れるだろう。そして、必ずカリンの所へ連れて行ってくれる」
 ヨシュアは力強い口調でそう言った。
「……でも、僕は馬に乗ったことがない」
「大丈夫。ガイアなら乗せてくれるさ。……俺が一緒に行って頼んであげよう」
「……ヨシュアさんが迎えに行った方がいいんじゃないかな」
 ヨシュアは首を横に振った。
「君が行かないと意味が無いんだ」
 レンはヨシュアの顔を見る。ヨシュアは優しい表情になり、レンの前まで歩いてきた。そして、レンの方へ手を差し出す。
 レンは黙ったままその手を取って立ち上がった。涙はいつの間にか止まっていた。
「カリンは呪いにかかっている。自分が幸せになってはいけないという思いこみの呪いだ。そのせいで、カリンはずっと苦しい道を選ばざるを得なかった。俺はいつかその呪いを解いてやりたいと思っていた。でも……俺にはできないんだ。レン、君ならそれができる」
「僕が……?」
 ヨシュアは頷いたが、レンには自分にそれができる気がしなかった。
「レン」
 族長が自分も立ち上がって横からから口を挟んだ。レンは族長の顔を見る。
「お前はカリンに出逢わなければ良かったかと思うか?」
 レンは首を横に振る。
「……大切な人ができるのは苦しいことだな」
 族長は少し哀しそうにそう言った。
 レンは、はっとした。カリンは……苦しい思いしかしていないんだ。そう思った。カリンはレンのことを特別だと言った。しかしカリンは、その幸せを味わう前にマカニを去らねばならなかった。レンを人柱にしないために、大切な人が居る苦しさだけを味わってきたのだ。
 このままではいけない。
 レンはヨシュアの顔を見た。ヨシュアは力強く頷く。
「行こう」
 レンはヨシュアと連れ立って厩舎まで行った。
 ネトルとダリアはレンとヨシュアの顔を見ると、何も言わずにガイアを連れて出てきた。ヨシュアがガイアの正面に立ってじっと目を見詰める。
「なあ、ガイア。カリンがひとりでアルカンの森で泣いてる。カリンを助けてやりたい。お前の力が必要なんだ。レンを、アルカンの森の主の所まで連れて行ってくれるか?」
 レンもヨシュアの隣に立ち、ガイアの顔を見詰めた。ガイアの顔をこんなに近くで見るのは初めてだった。ガイアの瞳は族長の瞳のように深く澄んだ黒い色をしていた。その瞳がレンを見詰め返す。レンは目だけでガイアに語り掛けた。カリンを助けたい。
 ガイアがレンに背を向けた。乗れ、と言っているようだった。
 ヨシュアの顔を見ると、ヨシュアは頷く。
 レンは慣れない手つきでガイアに跨る。
「振り落とされないようにな。手綱は緩く持て。あとは何もしなくてもガイアが連れて行ってくれる」
 ガイアは、ヨシュアが言うことを理解したかのように小さく一声嘶き、ゆっくりと走り始めた。レンはまっすぐ前を向く。後ろは振り返らなかった。ガイアは次第に速度を上げていった。
 ガイアの背に揺られながら、レンはカリンに会ったら何を話そうかと考えた。しかし、考えは纏まらず、ひたすらカリンとの思い出が頭を駆け巡った。
 ほらね、とレンは心の中で自嘲する。僕はカリンが居ないと全く進む方向が分からないじゃないか。
 レンはアルカンの森に着くまで、必死で自分の中に在るカリンの欠片をかき集め続けた。

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