わたしの人生の主役は私がいいんだよ!

わたしの中の別れを悲しむ気持ちはどこにいってしまったの?

ちゃんとわたしのなかにありますよ

でもさ、どうしてそんなにさみしいと思ってくれるんだろうって思ったよ

別れがさみしいことであるのはわかるんだけどね

わたしがあなたにとってそんなに大きな存在になっていることがわからないのかな

わたしにとっては大きな存在になってもいいけど、あなたにとっては大きな存在にはなってほしくないの?

そういうことじゃないね、それはちょっと寂しいなっておもっちゃう

でも別れにすごく悲しまれるのがわたしにとって「??」ってなっちゃうみたい

わたしも別に全くさみしくないわけじゃないよ

さみしいよ、普通に

でも、好きな人やまた会いたい人とか縁を繋いでおきたい人にはちゃんと努力するもん

なるほど、その努力を感じないから「??」ってなったのか

それは少しあるかもな

まあでも、縁を繋いでおきたい人でも実際距離が遠くなるとわたしすぐ忘れちゃうからな

忘れようとしてるとこは多少あるかもね

遠くになると、お互いのコミュニティへの関わり方がやっぱり薄くなるって感じるから、忘れるというか希薄になっていくってことだと思うんだよね

薄くなりすぎるとさ、ないものに思えてくるからその瞬間にわたしは”ない”とするところはあるね

そうだね、そういうとこあるね

さみしいけど、どんなものでもいつか必ずわたしから離れていく

わがまま言ってごねるぐらい離れたくないものでも、そのタイミングが来てしまったら、どうにもならないことを知ってるから

囚われても、縋っても、なんだかむなしくなるだけなんだなって

過去に生きていることを、悪だとは言えない

でも、危ういなとは思ってしまう

人間ってすごく刹那的なんだな

今しか生きられないんだもんね

今しかないって、それもそれで危うい気もするんだけどね

でも、今は今にあり続けるから

私の今いるところが今であることはこれまでもこれからも変わらないから

過去を今だと思い込むことが最も危ういと感じることの一つなのかもしれないね

今には干渉できるけど、過去には干渉できない

でも、過去を今だと思い込んでいたら、”今”をどうにかしたら”過去”が変わるって錯覚を起こすんじゃないかなって

危うい感じがすごくするんだよね

自分のことでもどうしようもないことはたくさんある

他人のことはそれ以上にどうしようもない

他人を支えに生きていくことの危うさがある

でも、確かにいつか抜き取られる支えだとしても、その時は確実にしっかり支えられて立っていられたとも思う

いつか抜き取られる、その支えを盲目的に信じることはやっぱり危ういよ

わたしって、不器用だね

いい感じに適度に支えをつくることができない

ほらまた、0か100かみたいな話だ

ちょっと支えになってもらう、みたいなのが今は出来ているとは思うけどね

支えはいつか抜き取られる、そう思ってるからそこに力はそんなにかけられない

抜き取られて崩れ落ちるのが苦しいから

でも、全力でその支えに寄っかかって、抜き取られて、派手に崩れ落ちて、そこにまた全力で寄っかかれる新しい支えを置く、これでいいじゃないとも思うけどね

こっちの方が、生きやすい気がしなくもない

いつか必ず抜き取られる支えなら、最初からなくてもいいじゃないってなるからあの日からわたしはずっと不安定になってしまったのかもしれない

支えは、いつか必ず抜き取られる

ならその支えをたくさんたくさん増やすことも方法としてあり

一つ抜き取られても違う支えのおかげで崩れ落ちないからね

支えをたくさん持つこと、崩れ落ちてもまた支えを持てばいいこと、それのどちらもが、わたしには難しくて苦しいことなのかもしれない

でも、支えのないグラグラ状態も難しくて苦しいじゃない

結局、この危うさはこれでは解決できないのか

わたしという支えを大きく太く揺らがないものにしたいんだよ

でも、それが難しい

わたしはズルいから、支えてもらっていたらその支えに甘えてしまう

支えてもらっている間に私自身を頼りがいのあるしっかりとした支えにしようっていうのが、甘いからできない

でも、いまはそれに気づいたから、支えを持っても多少私自身を育てることは出来るんじゃないのかな

でもさ、いうじゃない。そうしなければならない状態にしたら、そうするほかないから覚悟をもってやれるって

でも、結局うまくいってないでしょ

不安定さにどうしようもなくなってばかりじゃないか

だから、そのやり方はたぶんわたしに合ってない

少なくとも、今は

気質的になんだかたくさん支えを持つことが難しいんだ

でも、一つの支えを盲目的に信じてもその先には崩れ落ちる未来しか見えない

でも、その間はしっかり支えられて立っていられるなら、その間に自分を強くすればいいんじゃないか?

そうだね、それが、いいのかもしれない

それもタイムリミットがあるってわかってるから、自分への意識は忘れることはないと思う

いったん、支えにしてもいいんじゃないかな

だって、今、頭に思い浮かんでる支えはそんなにすぐには抜き取られなさそうではあるよ?

そう思ってたって抜き取られることもあるけどね

わかってる、知ってるだけで避けられることはあるよ

それに、本当に唯一の支えってわけじゃないから

ありがたいことにね

だから、きっと大丈夫だよ

寄っかかろ?大丈夫、大丈夫

今ある支えをめいっぱい支えにして、わたしを強くしてみようよ

支えなしでは生きられないから、支えを持つわけじゃない

支えなしでも生きていけるように、わたしを持つために、支えてもらうんだよ

別れは必ず来る

いつかはわからないけど、必ず来る

わたしはそう思ってる

だからってさみしくないわけじゃない

この世界のどこかで生きていたら会おうと思えばいつだって会える

ただ、過去にしか存在しなくなるものも残念ながらある

別にいいじゃないか、過去を支えにしてたって

その支えに縋って生きていくのか、その支えを今は頼りにして他にも支えを持ちつつ私自身を育てていくのか、

それはわたしが決めることだ

どんな方法を考えて実践するもしないも、選んで私自身で決めたらいい

どうしたってその支えがないと死んでしまうって時期だってきっと存在するから

一生支えに縋って生きていたっていいさ

自分がそれをいいと思って心地いいなら

残念ながらわたしは違うってだけだ

支えられていることにものすごく危うさと無力さを感じる

一人で立っていられないことがすごく気持ち悪い

生きていると感じられない

支えありきなら、わたしの存在ってなんだよって

支えがわたしの人生のメインを張ることをわたしは許したくない、許せない

わたしの人生の主役は私がいいんだよ!

まあでも、支えに縋ることを選んでいるのもわたしだからその状態でも私自身を主役だと思えばいいんだけどね

わたしはをそれを許したくないだけ

私自身が支えなしでも生きていけるぐらいの強さは欲しい

でも、支えの全くない人生も嫌なんだ

支えは、私の人生をより彩るためのものでありたいから

わたしにとって、支えはそうあっていきたいし、誰かにとっても、何かにとっても、私という存在がそうあってほしいと思う

わたしなしで生きられない状態にわたしは加わりたくない

わたしがいることで豊かであるものがより豊かになれるそんな感じがいいから

とりあえず、マイペースに過ごしていくか

のんびりいこ

苦しくないように、しなないようにね



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