あの夜はそもそもがイレギュラー

居ても立っても居られない、あの感覚は忘れたくはない

でも、やっぱりそれは苦しいような気もするんだよ

一生懸命、全力で走ってみよう、って思ってはみたけど

あの日以降どんどん気持ちはまた薄れていく

頑張るなら、気合を入れて走るなら今なんじゃないかって

でも、やっぱりそれは苦しいような気がしてきてしかたがない

また最近改めて気づいて実感したことがある

やっぱりわたしは自己表現の方法を探し求めている

わたしのおもうままのこころのなかを表現できる方法を切望してる

そして、あれはそれではない気がしてしまっている

それがまた一つ、こころのひっかかりを作っている

でも、行くとこまで行って、やれるとこまでやってから判断しなさいって言うわたしもいる

そしてそれは当然のことだとも思う

だって、やってみなくちゃわからないじゃないか

そうだ、やってみたらいい

でも、それすらもただの私の願望なんだ

やり切ってみてほしい、そう思ってはいるし、願っているけど

今のわたしにその力があると思えない

想像してみて、出来る気がする、やれる気がする

そう思っていたけど、やっぱり苦しい気がする

出来ない気がしてくる

もちろん、出来なくなったら途中でやめたらいいとも思う

最近はずっとそうしているわけだし

でも、それは苦しいし、イヤだとも思う

途中でやめるのがいや、とかじゃない気もする

冷静になって考える、想像するとできないビジョンしか見えてこない

それなのにやってみるのはやっぱり相当力がいる

でも、やめてしまっていいのか、

やめるな、と聞こえてくる

やめよう、と聞こえてくる

わたしは、いま、どうしたい?

この先のことは、やっぱり考えなくていい

いつか、悔やむときが来たっていいじゃないか

わたしはやっぱり、今しか選べないし、今しか生きれないじゃないか

なら、今、どうやってすごしたいか、どうしたいかで選んで決めよう

でも、間違いなく一週間前の私はやってやろうって思ってた!

頑張ろうって、頑張れるって思ってた

でも今は?

あの夜はそもそもがイレギュラーな経験なんだよ

今の私の普通は、たぶん、あの夜じゃなくて、今だよ

もちろん、特別な時の気持ちは大切なきっかけになるし大事だと思う

でも、たぶんわたしが今欲してるのはもう少しおだやかな日々の流れなんじゃないのか

まだ激動に身を置いておいてもいいかって、思ったことは確かに間違いない

でも、やっぱり穏やかでゆったりしていて気ままでわがままで縛りの少ない日々がいいなって思う

あとは、お金のためだけにわたしは働けないし、働きたくない

わたしにとってそれはとても苦しいことに思える

日々の選択肢が少ない状態でいたくないのかも

何をしてもいいから、何をするか、選んだことに価値が出る

選択肢の少ない日々にしたいと思ったけど、私にそれは向いてない

少なくとも、今は

何をしたっていいから何をするか迷う

その迷う時間があるぐらいでいいんじゃないか

ひとは暇だと病むらしい

それはやること・やれること・やりたいことがないからでしょう?

わたしはそもそも予定を苦しいと思ってるところがある

たとえ大好きなひとと会う予定だろうが、ね

入れられる予定には限りがある

その感じが働いてた時にあったね

やりたいことができなくなる感じ

毎日の仕事のためにすべての時間を過ごしているのがものすごく苦しい

明日何時にここにいなくちゃいけないから、何時に家を出ないといけなくて、だから何時に起きなくちゃいけなくて、つまり何時に寝るのがいい

これが毎日か…やだなってなるな…

慣れてないのもあるのかもしれないけど

むずかしいね、ほんと

よりマイペースを極めていこう

結局、なんかしっくりこない日々を過ごしてはいられないだけなんだろう

だからしっくりくるまでいろんなこと試したらいいさ

なんだか、またよくわからなくなっちゃったな

でも、幸いなことに、やりたいことは尽きないぐらいあるんだから

そうだよ、いいよ、わたしはやりたいことやるために今をつかおうよ

今できる、今やりたいことを、今選んでやろう

そうだよ、わたしは、ただ苦しくて苦しくて苦しくてたまらない今を過ごすために生き延びてるわけじゃない…

そうなんだよ、もう、誰が何と言おうと…

こころも身体も抉ってくる苦しさを感じるぐらいなら、

全部やめようって、もう決めてるから

脅し?そう思うなら、そう思えば?

わたしはね、わたしに言ってるだけだから

そんなに苦しいこと、しなくていいよって

ただそれだけよ

わたしは、わたしの赴くままに、過ごしていきたい



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