私の気持ちを話せる、と私が思ってる相手には話せる

他人の悪口を言いたくない、という気持ちから新たな発見があったよ

ひとと話すとさ、やっぱり新しいことに気づけるよね

これは対面で話せるひとの大事さだね

そこはこれから意識すると変わりそうだね

気持ちとか、考えとかを話し合えるひととの時間を週一ぐらいでとれるといい気がするな

話がずれてる~

他人の悪口・陰口・愚痴の話ね

まずはじめに、わたしがそれらを耳にするのがイヤだってこと

そもそも他人が他人のことを話してて気にならないのは褒めてるとかぐらいだからな

あの人がどうとか、って話自体があんまり…ってのはあるな

ここにいない人に興味ない半分、たとえ目の前の人を好きでもその人経由で他人のことをあんまり知りたくない半分、って感じかな

先入観、作っちゃうからね

はい!で、なんだっけ

わたしが他人が他人のことを話しているのが好きじゃない、のに私が他人のことをあれこれ話すのはおかしな話だ、と思ってる

それに加えて、そもそも他人のことをあれこれいうのは好きじゃないし、そんなこと言う自分はイヤだ、ってのがあるね

これはもうずっとそうだね

で、この他人のことを話す、みたいなのが一個障壁になってるなって思った

まず、私が傷つくのは大体が他人からのなにかしらの言動だ

傷ついたりしたら、シュンってなる、しょうがない

で、このことを他人に話せない、話したくない、ってことね

そもそも誰かに話そうっていう思考になってないのもある

そういう思考にさせないようにしてるのかもね

傷ついた、って一言であらわしちゃうけど、苦しくなった、悲しくなった、涙が出た、こういう気持ちを総称して、傷ついた、に今回はしておこう

間違いなく、他人の言動で傷ついているのに、私はそれを誰の言動かは切り離して、ゆっくり自分の中でのみ処理していく癖があるね

誰がしたかは気にならない。それをされた自分の状態、環境がどうだったか、みたいなところを振り返って傷ついた理由とかを考えたりするよね

他人は変えられない、変えられるのは自分自身だけ、ね

でもさ、傷ついた、を癒すのは考えることじゃないような気がするよね

こういうことを言われて、傷ついたんだ。それはしんどかったね、って慰めてもらう、みたいなことは大事なことではあるよな

じゃあ、べつに誰が、って言わなきゃいいんじゃないのかな

そうだよね。こういうことがあってさ、傷ついたんだ…って言えばいいじゃないかね

それもひとつの方法になるね

ただ、そのことを誰かに話す前に障壁があると思った

そもそも、他人の言動で傷ついた、っていうこと自体がその他人に対して申し訳なくなるとこがある気がする

難儀やなぁ、ほんまに

傷つけてきた相手にもなんかよくわからんやさしさみたいなのがむくんだよね

まあでも、こういうことがあって傷ついたんだ、って誰かに話してみよう!ってのが一個選択肢として増えたのはよかったよね

確かに、いままではその選択肢がそもそもなかった気がすんね

さて、少し話を進めるけど、でもさ、それはされてイヤなことです!って言える場面もあるなって気づいたんだよね

そう。私の気持ちを話せる、と私が思ってる相手には話せるね。

こういうこと、イヤです!いまのそれ、イヤ!それは違うんじゃない、とかね

まあでもこれも面と向かってその相手限定だけどね

そもそも他人に他人の話したところで、みたいなのは思ってるとこあるだろうな

具体的に話せる相手としては、両親、きょうだい、そういう話ができる友達、ってとこか

意外とさ、いつも通ってる美容院のひとたちにも話せるね

だからか。そういうのもあって、私、他の美容院に行こうって思わないんだな

お話ししに行ってる、って感覚強いのかもね

で、そういう話ができる人は私にとって一線を画して大切なひとたちのくくりにあるってことね

そう。ここが、今日のポイントというか一番の発見

いわゆる、本当に大好きな人たち、離れたくない人たちにはそういう話ができるようになってきてるってこと

できるようになってきてる、ってのがミソだな

ちょっとまえはそれすらできなかったからね

大進歩よ!

で、つまり、そういう話をしたくない、してほしくない、ききたくない、ってのはその人とはそういう関係じゃない、そういう関係になりたくないと少なくとも今は思ってるのでは、ということね

わたしなりの距離の取り方、なんじゃないかなっていうね

この人にはわたしの伝えたいことは伝わらない、って思っちゃってたりはしてたかな

でもさ、コミュニケーションをとってきて、何回かそういう話の入り口に触れたと思うんだよ

その時にこっちの意見とかを全く受け入れてもらえない、もらえてない、みたいな印象を受けちゃってたんだと思うんだよね

それが一回あるともう臆病になるし、二回三回とちょっとでもそういう印象を受け続けたら、もう無理だぁ!とはまあ、正直なってしまう…

ここまでくると、やっぱ合わなかったってことになるのかな

そういうことかもね

受け入れてもらえるか、もらえないか、みたいなのはたぶんとってもわたしは大事にしてること、なんだと思う

正直、「…え?」っていう雰囲気をキャッチしちゃったら…

ガシャーンッ!ガシャーンッ!ガシャーンッ!って重い鉄の壁が三重ぐらい落ちてきちゃってたね~

これを持ち上げるのは至難の業だな

でもあれかもね、まだそういう話をするタイミングじゃなかったのかも

だって、べつにわかってもらえなくても受け入れてもらえなくても大丈夫なことだってたくさんあるんだから

わたしの大切で大事でやわらかくてもろいとこを受け入れてもらえないのは、傷ついて当然じゃないかな

あんまり他人と話す、ってことをしてこなかったからでもあるだろうから、要練習だな

わたしなりに、マイペースにね

あとそう私が、誰かにそういわれて、とか誰かにこういうことされて、みたいなことを他人に話すのやだな、ってやつ

わたしのせいでその誰かがその他人にイヤな奴とかそういう印象を与えたくないし、持ってほしくないってとこね

話した相手が話の内容をどう捉えるか、わたしにはどうすることもできないから、それなら言わないでおこう、みたいなね

その誰かがよくないよね、とか、ひどい奴だ、とか、そういうことは…ちがう…ってなっちゃうんだよね

その誰かは私にとって大切で大事で大好きな人とかのこともあるしね

なんとなくだけど、この人には話せるようになりたい、受け入れてもらいたい、知ってほしい、で話すのはリスクが大きいなって感じたな

この人には話せそう、受け入れてもらえそう、って感覚を大事にするのはありかもな



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