見出し画像

哲学について 「私たちは本当の意味で“知る”ことは出来ない」?

ハーショヴィッツ著「父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書」

ハーショヴィッツの「父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書」を読みました。ある時書店で見かけて衝動的に買って、とても読みやすかったのでおすすめです!

今日は、この本のチャプターで取り上げられるテーマをもとに少し考えてみたいと思います。

実に550ページあるこの本を手に取るハードルを少しでも下げるために笑、僕が良いと思っているこの本のスタイル(特徴)を少しだけお伝えします。

読みやすい“哲学書”のスタイル

この本の中では、ハーショヴィッツ氏が二人の息子と対話をしながら生まれる疑問や質問に対して歴代の哲学者の考えや理論を持ち出して論じていくというスタイルを取っています。

つまり、「〜〜とは何か」ではなく、父親が「〜〜ってどう思う?」と問いかけて、子どもたちが「〜〜だと思う。だって◯◯だもん」と返し、「いい線をいっている。これは19世紀の哲学者XXXの・・・」と展開していくので読みやすいのです。

どうでしょう。少し手に取る勇気が出てきたのではないでしょうか。
では、この本にはどんなことが書いてあるのか、に進んでみたいと思います。

知識の章:「この世界は本当に存在するのか?」

この本の中では様々な哲学(ハーショヴィッツ氏曰く、哲学とは、“考える技術”だそう)を用いて、権利・復讐・罰・権威・言葉・男女・差別・知識・真実・心・無限・神という12のチャプターで幅広く物事を考えています。

例えば、「知識」の章では、「この世界は本当に存在するのか?」という問いが立てられています。これはマトリックスの世界と似た話で、今こうしてこの現実の世界に生きていると思うのは自分の意識であって、本当はすべてが夢なのではないか?もしくは脳みそが水槽の中に入っていて何か大いなる存在が電気信号を送って私たちに“生きている“と知覚(錯覚)させているに過ぎないのではないか?ということですね。

みなさんもそうかもしれませんが、子供の頃、私はよくこんなことを考えていました。
人類よりももっと恐ろしく頭の良い宇宙人がいて、箱庭として地球を管理しているだとか、タイタン(ギリシア神話上の古の神々)のような超越した存在が人間を空の上から見ているだとか、、、。
キリがない妄想だと言われればそれまでですが、尽きない空想の愉しみです笑

これにはデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」=(考えている自分は存在している)という主張で一旦の決着がついているのかもしれません。
このことを考えているのは他でもない自分であり、自分が存在するという事実は否定できないということだと思われますが、果たしてこの理論をもって世界の存在の全てを肯定できるかというとそうではないですよね。

自分自身がいることは確かだけれど、自分自身が“知っている“と思っているこの世界が本物であるということは証明できないのではないかということです。


でも、誰の目にも明らかな事実の場合はどうでしょうか。
例えば、今雨が降っているとか、雪が積もっている、といった事実は自分だけの思い込みや自分だけが見ている夢ではなくて、誰もが知っている目の前の真実ではないかということです。だって隣の友人に「今、雨が降っているよね?」と尋ねれば良いのですから。

ところがこれにもまた難しさがあって、私が見ている目の前の雨は、果たして目の前の友人にとってもまた同じ雨であるのか、という問いが立つかもしれません。
自分以外の何者(何物)も信じられないとしたら、同じ雨を見ていると誰が言えるのでしょう。私たちは自分自身が感じた感覚を100%誰かと共有することができないのです。

私たちは自分が感じたことを、相手にも知ってほしいと思う生き物


私はここに人間の持つ表現へのけなげさと言うか、愛くるしさを感じます。

なぜなら、私たちは自分の感じたことを相手に伝えるために表現をする生き物だと思うからです。本質的には、私たちは自分が感じたことを相手にも知ってほしいのだと思います。
美しい、嬉しい、悲しい、愛らしい、苦しい、こういった感情を相手に伝えるためにさまざまな手段を使って表現しているのだと思うのです。

上述した「知識」の前提に立てば、自分自身が感じている深い愛情を、目の前に全く同じ形で伝える(伝達する、手渡す)ことは出来ないでしょう。
だからこそ、私たちはそれを言葉で表現したり、ハグをしたり、微笑みかけたりして伝えようとするのではないでしょうか。

決して伝わらないことがわかっているからこそ、必死に伝えようとするその姿がなんだかとても愛おしく、可愛らしく思えてくるのです。
もしかしたらタイタンたちはそんなけなげな愛くるしい人間の姿を見て、宇宙のどこかから微笑んでいるのかもしれません。

長文読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにとって、今日が(みなさんにとってそれぞれの意味を持つ)素晴らしい1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?