見出し画像

閉鎖病棟でパーティーをしよう

あの夏、わたしは閉鎖病棟にいた。

もう3年、まだ3年。傷だらけの腕とハート、タバコを一箱。それに、相棒のライオンのぬいぐるみを連れて、わたしはベッドの上にいた。わたしが入院した場所は、大して患者もいない田舎の病院。同室の半分は、重度の認知症のおばあちゃんだった。入院したきっかけは、もちろん自殺未遂。"もちろん"なんて使うところ間違ってるかもしれないけど。

閉鎖病棟は不思議なところだ。そこにはなんの情報も存在せず、外界と遮断される。わたしたちは、まるで水族館を泳ぐ魚たち。ただ水槽という病院の中を、ゆらゆらと揺れるだけでいい。時々、鉄格子のはまった窓から、遠くを眺めては、人間を観察する。水族館の魚たちもきっと、水槽の中から人間を見て不思議に思っているだろう。「どうやってあいつらは生きてるんだ?」って。わたしも遠くを眺めては、"普通"に生きているらしい人々を見て、心底不思議に思った。ホントあいつら、どうやって生きてんだろ?

ご飯は不味くなかった。毎朝出る食パンに付いているジャムは、あまり美味しくなかったけど。病院はどこも独特な匂いがする。わたしはあれを、"死の匂い"だと思ってる。ただ朽ちてくだけの、生を奪われかけた人間たちの匂い。そんな匂いの中食べるご飯は、あんまり美味しくない。だけど、そのうち慣れっこになったわたし。いつのまにか趣味は、毎朝献立を確認することになっていた。食べものには逆らえない、食いしん坊の性である。

毎日やることもなく、わたしはただぼーっと過ごした。よく泣いては、特に慰めてくれるひともおらず、結局泣き止んでいた。悲しみは誰かに半分こしなきゃ、消えてなくならないってこと、あの日に知った気がする。

大体毎日、狭い病棟を散歩していた。初めは大声を出す、すぐ隣の男性棟にビビっていたけれど、扉があって鍵も閉まっているので安心だ。ウオー!とか、ア"ー!とか叫んでるゾンビたちを横目に、わたしは鼻唄を歌えるようになった。ぬいぐるみを抱えて病棟をさまようわたしは、まるでホラー映画の主人公。どちらかというと悪役だけど。


相棒


そんな退屈な日常に、ある日乱入者がやってきた。ほっそいからだに、めいいっぱいタトゥーを入れた金髪のお姉さんが同室になったのだ。彼女はどうやら薬物依存で、入院したての頃はフワフワしているようだった。わたしが昼間自分の陣地で本を読んでいると、急にカーテンをシャーッと開ける彼女。え!?とこちらが戸惑っているうちに、ドカッとわたしのベッドに腰掛け、「あんた可愛いな」と笑う。「い、いやそれほどでも〜」とわたしが照れてるうちに「見て!このタトゥー!メッチャかわいいやろ!」とバカデカい音量で叫ぶ。たぶん地球の裏側にまで聞こえたはず。ブラジルの皆さん聞こえますか?

彼女は数日経つと落ち着いて、今度はめちゃくちゃな量のお菓子を食べ始めた。わたしの閉鎖病棟ではお菓子などは持ち込み禁止だったけれど、彼女は見舞いに来る親らしきひとに大量のお菓子を持ってこさせていた。そして、ベッドの下に隠して夜中に食べている。サクサクサクサク…と聞こえる真夜中。どんなお化けよりも怖かった。

どうやら子どもがいるらしいそのひとは、昼間に見舞いに来る親と大声で毎日揉めている。「誰が引き取るんや!」「わたしや!」「無理やろ!」と繰り返される大喧嘩。わたしはゲンナリしつつも、彼女の痛みを思った。

「なあ見て、かわいいやろ」と、ある日再び襲来した彼女は、わたしの都合も気にせず子どもの写真を見せてくる。「か、かわいいですね」オドオドしながら答えると、「せやろ〜!?!?」と心底嬉しそうにする。「ウチの子供やもん、そら可愛いよなあ」と自己肯定感高めのお姉さんは、ニヤニヤしていた。それからしばらく「ネイル可愛くね!?」と自分の爪を見せてきたり、夜、「お菓子食べるやろ?」と小さな声でじゃがりこを持ってきたりした。

そして、彼女は時々泣いていた。静かに、時には激しく。痛々しい腕の傷がわたしとお揃いの彼女は、退院したいと毎日暴れ、結局二週間でいなくなった。彼女のいないベッドは、少し寂しかった。

日常がまるで止まったかのような場所。時間感覚も温度感覚もなくなるその場所で、わたしはただ、じっとしていた。政治のことも、事件のことも、芸能人のことも、何も知らなかった。そして、知らないことが嬉しい、と思った。心を揺らすことのない、ただ平穏でぬるま湯のような日々。

その頃まだ恋人だった夫は、就寝時間の2時間前、19時には必ず電話をくれた。電話ボックスの中、限られた時間だけ外とつながる。わたしの命綱は、緑の電話線。


命綱


退院するのが怖かった。自傷行為もやめられる自信がなかった。世界と切り離された小さな箱で、死にたさに埋もれたまま、悲しみに溺れていたかった。

ある朝、わたしは相変わらず、泣きながら「死にたい」とつぶやきつづけていた。しばらくすると、わたしの元に珍しく看護師さんがやってきた。おばあちゃん看護師さん、という感じで、笑顔が素敵なひとだった。看護師さんは、温かい手で私の手を握ってこう言った。

「誰でもみんな、一回は死ぬんやけん急がんでええ」

その一言に反射的に身構える。また、この人もみんなと同じことを言うんだろうか。

看護師さんは続けて、「まだ若いんやからな?恋もせないかん、たくさん楽しいことがいっぱいや!何が好きなん?芸能人は誰が好き?やっぱり嵐?違うんかー!」と笑う。

「あのな、死にたいっていうのは脳の誤作動なんよ?まじめーでがんばりすぎて、一生懸命やりすぎちゃった人に、脳がもうやすみなさい!って命令出して、それが死にたいっていう誤作動になってしまっとるんよ。だから、自分を責めんでいい。なんでなん?とかごめんなさいとか考えんでいい。病気はお医者さんが治すから。安心しまい!」と満面の笑みで看護師さんは言ったのだった。

私は相変わらず涙が止まらず、でもそれはいつの間にか嬉し涙に変わっていて。

「さいごーはな、みーんな元気に退院するんやけん、だいじょぶよ〜」

と大口あけて笑う彼女を見て、なんだかその一言で生きていけるような気がしたのだった。

もちろん看護師さんの言ったことは、やっぱり無責任で、今も相変わらず病気は治っていない。なんならあれから障害者手帳も取ったし、病状は一進一退だ。よく考えれば、巷で溢れるうつの人にかける言葉と、大して違いはなかったのかもしれない。

でも、あの日、あの時間。わたしの手を握ってくれた温もりと、たくさんのシワが刻まれた笑顔を忘れることはない。わたしにとって、間違いなくあの言葉は、あの時間は、"救い"だったから。

生きる、という選択はひどく辛く苦しい。それでも、わたしは"生きる"を選択したいし、あなたにも選択してほしい。

今日を生きる事を諦めそうになる日々に、明日を呪うそんな夜更けに。わたしも看護師さんのように、あなたの手を握りたい。世の中にある言葉なんて大体組み合わされ尽くしてて、聞いたことのある言葉しかわたしも言えないのだろう。

でも、あなたが生きていてくれて嬉しいって、何回でも何百回でも何万回でも言うからさ。飽きるほど言い続けるよ、今日を生きててくれてありがとうって。もう飽きたよってあなたが笑いだすまで、わたしは永遠に伝えるから。

おやすみなさいを言わせてね、そして明日はおはようを言わせてね。このろくでもない毎日が、当たり前に続きますように。そして、死ぬことの喜びは、最期まで取っておいてね。

ロクデナシの神さまが勝手に決めた命の期限を、わたしとめいいっぱい駆け抜けよう。明日も明後日も、あなたの"生"を祝福させてください。おもしろいこと、たくさんしようね。

大好きだよ、おやすみ。また明日。

✌️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?