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さよなら、東京

東京を捨てた。

懐かしい空港に降り立った瞬間、冷たい風が吹いて前髪を揺らす。きらめく滑走路とは正反対の闇に沈む町。虫の声さえ聞こえない、しんとした静かな夜。「この町で、生きてゆく」そう小さくつぶやいて、夜空を見上げた。冬の大三角が、眩しいくらいに光っていた。



この町にはなにもない、ずっとそう思っていた。どこへ行くにも車が必要で、行き先は大体イオン。友達と遊ぶのも初デートも、お洒落して出かける先ですらイオン。バカでかい駐車場と、バカでかいスーパー。街灯すらまばらで、そんな地元が大嫌いだった。

3年前、遂に憧れ続けた東京に住みはじめた。表参道も原宿も、渋谷も新宿も手の届く距離にある。王様のブランチで見た風景が目の前にあることがほんとうに嬉しくて、毎日はしゃいで山手線に乗った。

東京にはなんでもあった。大きな広告塔にネオン街。流行りのスイーツに新しいスポット。飽きることなんてない、一生この街でわたしは生きていくんだ!そう誓った。

けれど、きらきらした日々はそんなに長く続かなかった。都会に憧れていたのに、寂しくて泣き明かす夜が増えた。「ここには空がないよ、」そうつぶやいては、窓から見える小さな月に涙をこぼした。東京には夢も希望もたくさん詰まっている。その代わりに夢破れた奴の屍も、そこら中に転がっている。どんな大きな大志を抱いていても、実力主義のカースト社会。トップに上がるためには、なにもかも足りなかった。実家の犬の遠吠えが恋しかった。

そんな毎日に、木漏れ日が差した。それはnoteやinstagramだ。日々飽きることなく綴った、遮光カーテンの内側にある永遠の夜。煙草の煙が立ち込める、視界の悪い孤独。言葉は無限に浮かんできて、言葉に傷つけられて、言葉に救われた。言葉だけが、愛だった。そんなもがく姿を書き続けていたら、呼応するように言葉をくれるひとたちができた。

SNSで出会った、なんていうと親は今も怪訝な顔をする。でも、わたしにとって家族より家族で、家より家。そんな気持ちになったのは、初めてのことだった。コメントをくれる人がいたり、ギフトを送ってくれる人がいたり。時には会って話をしたし、エッセイを書くことでメッセージを送った。何度も諦めそうになった世界を、信じさせてくれたのはあなただった。

揺れる満員電車、人身事故のお知らせ、燃える夕陽、光る自販機、溶けたアイスクリーム、アスファルトの匂い、遠くで聞こえるサイレンの音。

どんな悲しみも、どんな苦しみも。ぜんぶ、あなたに届けたくて書いていたのだ。そう気づいたら、なんだか馬鹿みたいに笑ってしまって。東京が居場所だとずっと思い込んでいたけれど、居場所は自分でつくるものだった。そして、わたしの居場所は"ここ"だったのだ。

東京にいなくても、ほんとうに大切なひととはどこに居たって繋がれる。わたしが言葉を紡ぎ続ける限り、あなたに会える。東京で出会えたひとも言葉も思い出も、ぜんぶがわたしの細胞になっているから。だからもう大丈夫、わたしはどこでだってやっていける。



帰ってきた地元は、新しい道もコンビニもできて様変わりしていた。町の空気は相変わらず清々しく、夜空には満点の星が降る。おじいちゃんは「その頭どうにかならんかのう」とわたしの髪色を見て軽口を叩き、おばあちゃんは「うれしいねえ」とわたしを抱きしめる。あんなに大きかった背中も小さく見えるほどに、祖父母も歳をとったことに気づく。

夜、海沿いをひとり散歩した。きらきら光る水面に、変わらないさざなみの音。瀬戸内海のささやきが海風に乗って聞こえてくる気がする。冬の香りとないまぜの蒼は美しく、オリーブの葉は揺れて舞い落ちる。

愛と憎しみが詰まった地元で、わたしはまた、生きていけるだろうか。寒さに震えて少し、不安になる。

ハイウェイも高層ビルもなく、朝日が昇ることだけが真実のこの町。きっと、田舎すぎて嫌だ!とか、東京行きたい!とか。そんなぐるぐるした気持ちを抱えることになるのだろう。苦しみに押しつぶされたり、悲しみに襲われたりして、何度も挫けるのだろう。

けれど、きっと、大丈夫。だって、あなたがいてくれるから。どんなに離れていても、わたしたちは繋がっているから。

これからは、瀬戸内海から言葉を海風にのせて届けます。

変わらないわたしを、変わってゆくわたしを。どうか見ていてください。あなたにいつか会える日まで、七転八倒しながら前に進み続けるよ。

今日を生きていてくれてありがとう。

そして、明日からもよろしくね。

さて、夜のドライブはイオンに向かおうか。

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