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痛くて夏い

海が見えた懐かしい坂を、自転車の二人乗りで駆け抜けたあの夏。

夏の終わりが近づく季節、もうセプテンバー。9月のはじまりはいつも、なんだかソワソワして、少し寂しくなる。夏にサヨナラはなかなか言えなくて、きらっきらに眩しい太陽と思い出が、胸をざわめかせる。

秋の風が吹く今日は、夏の残り香を探してさまよっている。花火ができなかった今年、まだ「若者のすべて」を聴けないままでいる。最後に花火をしたのはいつだろう、毎年しよう!と思いながらやらないままでいる。こうやって、わたしは夏の楽しみ方を忘れてゆくのだろうか。

大昔の恋人に連絡をした。最後に話したのは10年以上前だ。あの頃、どうしようもなく恋をしていた。名前で呼んでいた頃をもう思い出せなくて、おずおずとLINEで「先輩」と呼びかける。彼はまだ一度もわたしの名前を呼んでいない。下の名前を呼び捨てにしてくれるのは、彼しかいなかったのに。

とりとめもなく話す昔のこと。彼は先月8年付き合った彼女と別れたらしい。最近わたしの夢を見た、と何気なく口にする彼に、少しだけときめいてしまう。別にあの頃の気持ちを思い出せる訳じゃない。彼のことを好きだった、遠くぼやけた自分の姿に、簡単にエモさを感じてしまうだけ。

それでも、やっぱり昔話に花は咲く。地元の小さなお祭りに行ったね、朝までメールをして「会えばよかったね」なんて笑いながら寝落ちしたね、一緒に聴いた音楽はなんだっけ、あの映画を観たよね。永遠に話せそうな昔話に、距離なんてなかったかのよう。でも、やっぱりどこかぎこちなくて、連絡はまばらになっている。

どうでもいいことばかり覚えていて、彼と繋いだ手の温もりはもう分からない。だけど、ぜんぶを捧げたよ、ってわたしは今も思ってる。「青春だったなあ」「俺も青春だったよ」そんな言葉を交わすだけで、わたしたちは簡単にタイムスリップする。お互いの人生に確かに存在した自分のこと。遺伝子レベルで刻まれてしまった恋を抱えたまま、わたしたちは生きてゆくのだろう。

彼は卒業文集に「高校時代は勉強と部活、そして青春しました」と書いたらしい。10年後の答え合わせは、わたしたちの心を甘くくすぐる。二度と戻れないから美しい。分かっているのに忘れられないあの頃のこと。

わたしは、今でも夢に見る光景がある。

坂の上にあった高校の周りは、大きなみかん畑。たくさんのオレンジが光にきらめいて、乱反射する午後。彼の自転車の後ろはわたしの特等席。甘やかな秘密の校則違反。坂を駆け降りながら、遠くには瀬戸内海が見える。風が吹いて、わたしたちの白いシャツをなびかせる。彼の背中は熱くて、その温もりが愛しい。途中ですれ違った先生が「コラー!」と叫ぶから、二人で大爆笑して「ごめんなさい〜!」と聞こえない大声で叫ぶ。

世界の中心は、彼だった。そしてきっと彼の中心もわたしだった。

そう言い切れる恋をしたことが、今でもわたしを支えている。

不器用な情熱を交換しあって、わたしは世界で一番の幸せと不幸を行き来した。彼とはじめるわたしたちの物語は、第二章。大人になってしまったわたしたちは、一体どこへゆくのだろう。

答えなんか出せないまま、出ないまま。それでもふらふらと繋がったり、離れたり。一度きりの人生で、迷う瞬間があってもいい。何度も転んで、何度も立ち上がって。すり傷だらけの人生が、いつかきっと勲章になる。

ときめきだけは忘れないでね。あなたの胸の高鳴りだけは、きっとこの世界の真実だから。

わたしは恋をしよう、今日も明日も明後日も。花火はまだ、これからきっと打ち上がる。夏よ、もう少しだけ側にいてね。

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