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写真をはじめて1年がたって「何気ない日常」なんてないとわかりました。

出版社で働いている辻敦と申します。ぼくは写真家・幡野広志さん編集担当をしていて、『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』という本を幡野さんと一緒につくりました。写真を撮る前に知っておいてほしいことから、写真の撮り方、RAW現像の方法まで、幡野さんが写真についてはじめて書いた本です。

ぼくは完全な写真シロウトです。本のお話をいただいたときは、ぼくが幡野さんの写真の本を作ってよいのだろうか、そんな気持ちもありました。でもむしろ、写真をやっていないからこそ、ぼくにお願いしたいと言ってくださったのでした。

本を作るにあたって、ぼく自身も幡野さんの写真ワークショップ「いい写真は誰でも撮れる」に参加しました。それが2023年の1月28日。ちょうど1年前です。あの日から、会社に行くときも、書店に行くときも、コンビニにいくときも、ほとんど毎日カメラを提げて写真を撮る生活に変わりました。

数えたら、この1年間で24,565枚の写真を撮っていました。幡野さんが教えてくださったことと一緒に、撮ってきた写真を振り返ります。(※現像も当時のまま掲載しました。)

幡野さんのワークショップで撮った写真。いちばんの衝撃は「見たものを撮ればいい」と教えてもらったこと。おかげで「ぼくでも撮れる」と思いました。写真のハードルが一気に下がりました。
平野レミさんはよく自分の本に名前を書いています。レミさんと一緒に本をつくったぼくだから撮れた写真かもしれません。現像はいまならモノクロでしていると思います。
2023年の本屋大賞発表のとき。
「撮っている人を撮るのもいい」と幡野さんのワークショップで聴いて実践しました。
Xで幡野さんにほめてもらった写真。写真でほめてもらったことはずっと覚えています。
透明なビニール袋の影響か、いい感じの光で撮れました。まったく狙ったものではありません。
会社のエレベーターに乗るときに写真を撮るのがもはや日課です。これは村上春樹さんにはじめてお会いしに行く直前。いつもと違ってがちがちに肩とカメラを握る手に力が入っています。
妻の誕生日。「ピントが合ってなくたっていい」と幡野さんはよくおっしゃっています。
写真をはじめてから初めての旅行。別府。ノリノリで写真を撮っていたけど、RAWの設定が外れていたことが後でわかりました。落ち込みました。カメラの設定に注意するいい経験になりました。
通勤時。写真をはじめていなかったら、窓掃除をしていることに気づかなかったかもしれません。
高校野球部のともだちと久しぶりにバッティングセンターへ。もう少しやったら皮がむけていたかも。これも「見たものを撮る」ですね。被写体は身の回りにある。
吉祥寺の八百屋。シャッターが途中まで空いて光が漏れてるのも、青いタオルもかっこいい。
「写真を撮られたい人はあまりいない」を念頭に置く。顔が写ってなきゃいけないわけじゃない。
バナナを下から覗くとこうなっているんですね!
幡野さんのBRUTUSのインタビューに同行。ハナレグミ・永積タカシさんを撮影する幡野さん。
「会話の距離と撮影の距離は違う」「撮るときに声をかけない」を間近で体験できました。
幡野さんはアシスタント時代、「サヨナラCOLOR」を聴きながら深夜まで仕事していたそう。永積さんから対談終わりにサインをもらって「あのときのぼくが知ったらなぁ」と感慨深いようす。
ワタナベアエンターテインメントのライブ。モノクロ現像がややうまくなってきている?
and recipeの事務所で衛藤キヨコさんと小池花恵さんのZINEが作られる様子を見る幡野さん。
ぼくはキヨコさんの写真を見て、「写真の濃度」の意味がなんとなくわかった気がしました。
岸田奈美さん×幡野さんの『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』刊行記念トークイベント。聴いてるのはもちろんおもしろいけど、なにより話しているおふたりがたのしそうです。
お酒をけっこう飲んだ帰りに自転車を押して歩きながら撮りました。いつでも撮る習慣ができているけど、このすぐあとにコケて、カメラに傷がついてプロテクターの先端がへこみました。
仕事が遅くなったので、前から泊まってみたかった新宿のテルマ―湯へ。
朝5時にチェックアウト。朝のゴールデン街は人がいない。たのしかったのでまたやりたいです。
飲んだ後にみんなで写真撮る、みたいなことがちょっと恥ずかしくなってきてしまったので、
逆にこうして写真を撮り返すようになっています。
ドイツでは意識的に人を撮ることに挑戦しました。
同時に「被写体への敬意」も忘れてはいけないなとあたらめて思いました。
この女性の存在感がすごかった。女性はソーセージ屋のオーナーで、青い服の男性はアルバイト志望、真ん中の男性は紹介者、という関係だとようすを見て想像しました。たぶん当たっています。
ドイツの新幹線ICEの窓から。ワークショップの手伝いをしている狩野さんがこの写真をのせたぼくのnoteを読んでくれて「あのモノクロの写真よかったです」と言ってくれました。
いい感じに撮れそうと思ったけど混んでいるし人の流れを止められないので、カメラはぶら下げたまま階段をのぼりながら撮りました。「たくさん撮れば、1枚はいい写真がある」「3%の偶然」
ベルリンの蚤の市。ぼくはとても気に入っている写真だけど、この女性にとって嬉しい写真だろうか……。「誰のための写真か」「被写体の気持ちになって考える」忘れてはいけないことですね。
親が子をスマホで撮る姿は日本もドイツも変わりません。写真の彼はお母さんと一緒に写りたいらしく、こっちに来てと呼んでいました。こちらも笑顔になる光景でした。
カポエイラをしていたふたり。練習が終わってハグする前。
「子どもやペットが小さいうちや、パ-トナーと結婚する前はしぜんとたくさん写真を撮るけど、だんだん撮る枚数が減っていく。身近な人をたくさん撮ったほうがいいですよ」と幡野さん。
10年前、ドイツ留学していたときの寮の最寄りのスーパーがつぶれていました。けっこう悲しい。
エッセンのツォルフェライン炭鉱。機械と光がかっこよかったです。
孫を見送るおじいさん。孫が大好きなんだろうなあと電車の窓越しでもわかりました。
バスのメンテナンスは大変そうでした。
写真を撮る瞬発力が鍛えられてきました。いいな!と思ったら撮る。
幡野さん、小池さんとサイン本作り。机のスペースを広げるために移動させた本とお茶とイスの背もたれがぜんぶ緑色でした。偶然感も含め、なんだかすごく気に入っている写真です。
ドイツ土産のテディベア、姪がめちゃくちゃ喜んでくれました。
お店で人が頼んだ食べ物をちょうだいとかシェアしようよとか言わない主義なのですが、
この冷やし中華はまじでうまそうで「ひとくちちょうだい」と言いかけました。
ブルーシートも主役になるときがある。
「写真を撮るときに、部屋を片付けなくていい。10年後見返したとき『この机使ってた!』とかそれが思い出になる」と幡野さん。でも散らかりすぎだ……。わが家の猫もたくさん撮っておこう。
ワークショップ「いい写真は誰でも撮れる その2」の実践の時間。この時間は参加者のみなさんの真剣さが伝わってきます。ぼくの好きな時間です。いい光で撮るのが大事。
ワークショップのお昼ごはんは小池さんの手作り。この日は羽釜で炊いたごはんの塩おにぎりと大きいミートボール。まじでうまいですよ。「うま」とか「やば」とか声がしぜんと出ます。
and recipe山田英季さんが幡野さんにかっこいい平たいやかんをプレゼント。
このときは幡野さんが薪ストーブをちょうど買ったころ。センスあふれるチョイスでした。
ワタナベアニさんが「いい写真」と言ってくださいました!写真でほめられたことはうれしいのでいつまでも覚えています。ここからこれの真似をした写真を撮るようになりました。
ぼくが頼んだブリカマが焼かれていくのを見ていました。
撮影OKの美術館や博物館で写真を撮るときは「検索しても出てこない写真」を撮るように心掛けるようになりました。誰かと同じ写真をわざわざ撮る必要はない。
大寒波の青森。めちゃくちゃ吹雪いていて「さみー」「雪やべー」と言いながら写真を撮るだけでたのしい。カメラがあると旅行のたのしさも倍増する。写真を見ればそのたのしさを思い出せる。
バエなくていい。エモくなくてもいい。バズることも狙わない。
たのんだパフェができていく様子がスキマから見えました。「見たものを撮る」は完全に定着。
昔好きだったボンタンアメ。鍛え上げられた腹筋のようでした。
兄夫婦。『ぐりとぐら』をプレゼント。このときももちろん声はかけません。
コーヒーミルを回すのがたのしくてしょうがない甥。
兄夫婦に写真を送ったら「おもろ」と喜んでくれました。
もうすぐ写真をはじめて1年。現像のトーンをやや変えてみました。黒を意識。
永積タカシさんと幡野さんの対談を聴いてぼくもやってみよと、正月に家から中学校まで通っていた道を散歩。ひさしぶりに帰った地元の写真を撮るのはすごくいい。好きな風景ばかりだから。
日課の出勤エレベーター写真を撮っていると、途中の階で止まって人が乗ってきそうになって慌てました。写真がブレてたっていい。むしろこれはブレてるほうがいい。
このくらいの光の感じがぼくは好きかもしれません。うちの猫、さいこうにかわいいです。

幡野さんは趣味で写真をたのしむ人に写真の勉強は必要ないといいます。写真を勉強するくらいなら、映画を観たり、漫画を読んだり、旅行に行ったりするほうがいい、と。ぼくは単純なので、ほんとうに写真の勉強をしていません。ちょっとくらいしたほうがいいんじゃないかと思わないでもないけど、していません(どうどうということじゃぜんぜんないですが)。でも写真がすごくたのしいです。「でも」じゃなくて「だから」かもしれない。この1年間、ずっと写真がたのしいです。はじめたときよりたのしくなってる。すごい趣味と出会ってしまいました。

写真をはじめて、人生がちょっと変わりました。世界の見え方が変わりました。よく「何気ない日常を切り取る」という言い回しを目にしますが、「何気ない日常」なんてものはない、といまでは思います。

通勤中でも、家にいるときでも、ちょっと散歩するときでも、「あ!いいなあ」と思う瞬間が無数にあると気づきました。何気ないとか、つまらないとか、ふつうとか思っていた日々の中にそれはたくさんあるんです。隠れているわけでもないし、潜んでいるわけでもない。それを見つける目さえもっていれば、毎日が「あ!いいなあ」だらけなんです。「あ!いいなあ」がたくさんある日常が「何気ない日常」であるはずがない。そしてそれにカメラを向けて写真を撮ればいい。

うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』のあとがきです。

写真家として断言できるけど、写真は間違いなく人生を豊かにします。だって目の前の景色を一瞬で精密に記録できるんですよ。写真を撮るのに必要なのは少しの手間と勇気です。技術ではありません。カメラなんてなんでもいいのよ。

『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』「あとがき」より

「写真が人生を豊かにする」これはほんとうです。写真ってまじでいいですね。


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