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【noteの疑問】創作者の時間。消費者の時間。

きれいな書き方をするつもりは一切ないです。
僕が約20日間、noteという世界にダイブして感じたことを1つだけ書きます。テーマは絞るべきなので。

早速ですけど、noteに使う時間を100とした時に創作者としての時間と消費者としての時間、どのくらいの振り分け方をしていますか?


僕は時間だけはとても長いので
創作:消費=30:70くらいです。多分マイノリティです。

テキスト記事1本1時間弱で書くとして7時間くらいは真面目に読んだり片手間で眺めてます。いやなんで3本も書いた計算なんだよ(困惑)


創作者とはつまりクリエイター。
記事やつぶやきを作成している自分を想像してください。

消費者とはつまりユーザー。
他のクリエイターの記事を読み、スキをしてみたり、サークルに入っているなら純粋に交流してみたり...そんな自分を想像してください。

noteはほぼ全員が『創作者』と『消費者』の両方の性質を持っている場所で、力の関係は創作者>消費者になっています。
この世界に足を踏み入れる人は『つくる』ためにここを選んだのですから。

消費者として『見る』『つながる』ことよりも創作者として『つくる』ことを優先するのは極めて当然のことです。


しかしそうなるとどうなるか。創作物が飽和します。
別の理由でもそれがとても加速しているように感じますがここでは省略。そして普通に良いものが十分見られることがなく埋もれていきますね。

これを競争に負けたみたいな表現にするのはイマイチかと。
消費者としての時間が短ければ短いほど、内容(what)ではなく誰が(who)創作したかに焦点が当てられるようになるから。


たった20日くらいやってそんな感覚を覚えるってわりと異常事態だと僕は思うんですね。

この感覚が誤解であればいいなとわりと思っています。

なんというかクリエイターのコモディティー化を自ら張り切って進めている感はあります。やばいですね☆
コモディティーって言葉は一昨日あたり覚えました。
小学生なので覚えたての言葉はすぐ使いたいんです。


まーそんなわけで、ちょっとnoteに対しての時間を変えてみるともう少し面白いんじゃない?って話でした。

ぶっちゃけ言っちゃうと否定はしないけども、
毎日投稿を義務感でやるのはあんまりオススメしないなー。
これはそのうちテーマにして書くと思う。
多分結構そういう人いる。




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検索ワード:歪み
クリエイター:3villages さん
ありがとうございます。


良いの最上級の表現として使ってどうぞ