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本の紹介『本の未来を探す旅 ソウル』

 本屋巡りが趣味のひとつである。大型書店もいいが、インディペンデント系の本屋が特に好きだ。カフェが併設されているとなおよい。カフェ巡りも趣味である。(写真はソウル延南洞の書店SPRING FLARE)

 以下は、2018年に『韓国朝鮮の文化と社会』17(韓国・朝鮮文化研究会)に掲載された、辻野裕紀による本の紹介『本の未来を探す旅 ソウル』(内沼晋太郎・綾女欣伸編著、朝日出版社、2017年)である。下記のURLからpdfででも読めるが、同内容のものを貼り付けておく:

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1961333/tsujino_1961333.pdf

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 書店のかたちを〈商品消費型〉と〈時間消費型〉に二分するとき、後者の代表的な存在と言える、東京は下北沢のB&B。本書は、その経営者であり、ブック・コーディネイターでもある内沼晋太郎氏と、編集者の綾女欣伸氏の、ソウルの書店、出版をめぐる取材の旅の記録である。少子高齢化、雇用問題、高い自殺率など、数多くの社会的難点を日本と共有する双生児のような韓国において、書店や出版界はいかに在るのか。これまでかかる問いに克明に答えてくれる日本語の書物は管窺の限り烏有であった。本書の新規性はまず茲に在る。ソウルの書店出版界の最前衛に立つ、新進気鋭の士たちへのインタビューを丹念に行ない、日韓の書店や出版の来し方行く末を諦視せんとする清新なる試みである。韓国語版も今年刊行され、韓国の読書界でも注目を浴びている。
 ソウルには、近年、いわゆるインディペンデント系の書店が急増している。THANKS BOOKS、BOOK BY BOOK、wit n cynical、YOUR MINDなど、本屋好きの読者であれば、こうした書肆の名がいくつも瞬時に泛ぶであろう。私も、こうした本屋に積極的に足を運び、ブッキッシュな韓国学徒のひとりとして、韓国の書店界の「現住所」を瞻視しようと勤しんできた。調査研究の合間に弘大界隈や通義洞、孝子洞周辺を当て処なく逍遥していて、瀟洒な書店やブックカフェをゆくりなく発見したことも一再に止まらない。教保文庫や永豊文庫、パンディエンルニスなどの大型書店も今猶健在だが、インディペンデント系の書店の隆盛は、ひとつの大きなムーブメントを巻き起こしていると言っても過言ではない。所謂ジンの発行も盛んであり、若年層を中心に、書店や出版への関心は漸次高まってきている。
 日韓共に出版の斜陽が叫ばれて久しく、いかにそうした奔流に抗い、いかに紙の本の命脈を保つための方途を案出するかが火急の課題だが、本書は「韓国の書店出版界は日本を先取りしているのではないか」という仮説から出発し、多数のインタビュー取材を通して、韓国の斯界の先駆性を顕示的に示そうとしている。勿論、日本にもB&B、森岡書店、天狼院書店(以上東京)、ON READING(名古屋)、ブックスキューブリック(福岡)、宮里小書店(那覇)など、個性豊かな書店が既に許多ある。しかし、本書の著者は、韓国の出版市場には日本の未来が映し出されており、韓国は「一種の壮大な社会実験を日本に先駆けて行なってくれているのではないか」と喝破する。これは炯眼である。この着眼は、言ってみれば、韓国を日本の通時的なアロモルフと見做し、そこから日本の来たるべき姿を予見するということである。このような定点に立った取材研究は他の領野においてももっとなされてよい。
 日本でも韓国でも、従来の書店はオンライン書店に擠排され、紙の本は電子メディアの侵襲によってその恒常性が破綻させられつつある。とりわけ、電子ガジェットが陸続と目紛るしく市場を席捲する、いかにも新奇性探索傾向の高い人々が多そうなIT先進国韓国という地においては、オフライン書店や紙の本は日本以上に危機に瀕しているに違いないというのが一般的なイメージであろう。そのイメージはある程度正しいと思われるが、本書を読むと、必ずしもそうではないということが分かってくる。詩人が経営する詩集専門の書店、猫関連書籍専門店、読書会に特化した本屋、カウンセリング書店など、創意に富んだ書肆がいくつも紹介され、各店主へのインタビューからは、熱い志と希望の余蘖が犇々と伝わってくる。また、インディペンデント系の書店のみならず、教保文庫のような大型書店や洒脱なブックカフェ、喫茶店、編集者、坡州出版都市などについても幅広く取材、言及されており、韓国、分けてもソウル首都圏の書店出版関連のトピックスが網羅的に俯瞰できるような結構になっている。
 本書の著者も言うように、韓国の本好きは、日本の本屋にも通達している。一方、日本の本好きは、一般に韓国の本屋には明るくないのではなかろうか。抑々韓国が本屋ブームであるということ自体が日本ではほとんど認知されていない。こうした非対称性に私はこれまである種の違和を感じてきた。本書によって、日本語圏の人々の、韓国の書肆界への関心が誘起され、それが韓流の新たなるかたちへと変転することを密かに期待している。
 本書で主に扱われているような、謂わば「おしゃれ系書店」では、本それ自体だけでなく、カフェを併設していたり、内装の意匠に凝っていたり、諸々のイベントを催したり、と書店の本態的な機能から懸隔したところにも多く意が用いられている。中には、こうした種々の仕掛けを評価しない硬派な方もおられよう。それよりも本そのものの品揃えをもっと充実させるべきではないかと。しかし、本にコンテンツを伝える媒質という記号論的側面のみならず、装幀などの身体性があり、その書物固有の物質性が、ある種のフェティシズムと文化を生んできたように、書店にも単に本を売買するという商業的職能を超えた何かがある。愛書家=ビブリオフィリアが手沢本や稀覯本の佇まいを愛でるように、本屋というトポス、空間を好む層もいるであろう。世の知性を劣化させないためにも、書店が魅力的であることは極めて重要である。韓国と日本の書肆界が向後いかなる道を辿っていくのか、本書を座右に置きつつ、その帰趨を嘱目したい。

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