変身願望
奇遇にもネットフリックス内で見つけた映画に、能楽を交えた内容の作品がありました。まだまだ最近のものでしたが「villege ヴィレッジ」という作品。
演目「邯鄲」を話の背景にされてるようで、実際に演能シーンや邯鄲の謡が要所に出てきました。横浜流星の演技がとても良かった。
・・ふと回想。
かれこれ青年の頃、クラブで酒浸りの自分は休日は違うモードが欲しいと、俗にいう前衛映画にハマり、フランスやイタリアのヌーベルヴァーグや日本でいうATG(アートシアターギルド)を片っ端から観ていたものです。ゴダールやトリュフォー、そういえば三島由紀夫さんは能楽を近代化し作品化されてるそうですね、興味あるな~。
それこそもう約100年前になってしまうのでしょうか、サイレント映画で「メトロポリス」というのがありまして、未だにあの斬新さは記憶に焼き付いています。
幼少期、田舎の祖父母の家に盆と正月に泊まりに行ってましたが、道中、この先がどうしても怖くて行けないという「その先」を思い出しました。その先は山中なのは確かなのですが、どうしても行けずに結果行かずに終わったのですが、たまに夢を見る際、その先が開拓され車道と化し何処か未来へ繋がっているような内容を何度か見た記憶が、ふと思い出されました。ご近所さんでは、止まることができず延々と部屋の中を円を描くように歩き続ける年輩の方がいらっしゃったり、あ、そう、祖父爺ちゃんが、詩吟を嗜んでいたのを思い出しました。ポマードでベタっとカチッと決め、山奥から町へ下りて行ったのを、独り言のようによく何か謡っていたな。亡くなった親族たちが脳裏に浮かんできましたが、今思うと、ヴィレッジに近いような何か都会には無い不思議な時間の流れがそこにはあったなと記憶が戻ってきます。
・・回想おわり。
「ヴィレッジ」に話を戻しますが、主役(横浜流星)が極めて困難な精神状態の時に、初めて面を掛けるシーンがありました。面を通して精神を落ち着かせ、呼吸の乱れを整えているような風に見えました。
シンプルに純粋な檜の香りは心身をリラックスさせるもので、何というか、普段、仮面を被って生きているかの自分が違う自分または異空間へ誘われる瞬間、また移ろうとする際の瞬間について、さらには違う自分になれる世界について、ふと思ったりしました。
ちょっと美月さんに登場してもらいましょう。
コスプレ、V tuber…興味ないな~、憧れやリスペ…かれこれ10年以上前はあったかな~、そう、変身願望について考えてみましたが、今、他になりたい何かというのが思い付かない、自分が自分で満たされていながらも、それこそ能楽の世界には誘(いざな)われている、どこかなにかに向かってる自分がいるのは確かです。
無意識下に閉じ込め蓋をしてそのままフェードアウトしていく記憶が、noteを書くことで再度現れてくる、また、古層の域、集合無意識下でどういう繫がりを持っているのか、能について読みたい文献も見つかり、貴重な時間である。
さて、次回はじっくり美月さんと戯れてみましょう。
テーマは演目「邯鄲」について。
能と脳とnoteに感謝。
見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?