見出し画像

渋滞に行き詰まる日々

とある一本の国道のバイパス。実家を離れてからおよそ4時間が経過していた。予定通りであれば既に東京に着いてもいい頃合いだったのに、車はいまだ県境だとわかりやすく示している「一級河川」を渡れていない。

今日に限っては、いろんな場所で渋滞のなんちゃってパレードにつかまってばかりいる。
特に前方の車はイライラしているのだろうか、早く前に進めようと何度も車線変更している。けれどすぐさま私の乗る車に追い越されてしまう。
やがてこちらの車線の通りがスムーズになって加速し出した途端、それはいつの間にか「光の川」に消えてしまったのだった。


その日の高速道路は事故で渋滞していた。インターチェンジに差し掛かる信号付近に設置されている案内表示板は、海老名JCTからおよそ10km渋滞であると表している。
そこから通過までにかかる所要時間は…。交差点が青信号切り替わった瞬間に目をそらした。

どのみち高速を使ったところで、予定よりも倍の時間がかかるのはもはや明白であると同時に、貴重なお金を無駄遣いすることに成りかねないと思ったからだ。
結局下道で走ることにして、車は高速道路のインターチェンジに入らず交差点を直進していくのであった。

それからの道中は順調に流れている。このままいけば、いつも通りの時間帯に到着するはずだった。だが特定のバイパスに入ったそばから、動きが急に鈍くなってしまった。
片側二・三車線の道路はすべて、隙間を探すのに難しいくらい至る所が車によって埋め尽くされている。

やはり高速道路での事故渋滞が影響しているのもあるだろう、いつにも増して車の流れは酷いものだった。
下り坂周辺から見下ろす景色は恐ろしいほどに、ブレーキランプの発する赤一色で染まっている。

そんな渋滞待ちでカーナビも痺れを切らしていたのか、必死になって探してくれた「新しい」迂回ルートを案内してくれたものの、指示通りにバイパスを途中で降りて道なりを辿っても、やはり先の見えない渋滞につかまってしまった。

妙になんとも言えない苛立ちを覚えた。カーナビの音声案内からも微かに「私なりに頑張って迂回できるルートを探したのに」と、まるで同調しているかのように聞こえてきた気がしている。

細い路地裏の交差点で待ち続けていると、別の方角の信号は赤に切り替わっているにも関わらず、あれよあれよという間に数台の車が曲がって入ってくる。
おかげでこちら側は、手前の信号が青色を発しているのにまったく進めることができない状態でいた。

彼らの前には、教習所で習ったルールをとうに忘れてしまっているのか、あるいはその概念すら持ち合わせていないのだろうか。
それらがまた一台ずつ目の前に割り込んでくるたび、真面目に遵守しているこちら側が馬鹿馬鹿しいと腹の中が煮え返ってくる。


一歩より前に先へと進みたい。でも車の群れがなかなか進ませてくれない。そう考えているのは私だけではない。今この場の渋滞につかまっている誰もが、そう同じことを思っていることだろう。

この流れを無理矢理にでも急かせようとするならば、警察をはじめとする機関などは黙って見過ごすわけにはいくまい。
現に途中で通りかかった駅のロータリーでは、違反者の取り調べを行なっているパトカーや白バイの姿を何台か見かけた。
それに加え、似て非なるサイレンを鳴らしながら車の間を駆け抜ける救急車も、道中で数台ほどお目にかかっている。

体感時間が長く感じるほどの下道を走っていたとはいえ、一度の運転で連続して目の前を横切ったり通り過ぎていくのは、私にとってこれまで見たことのない光景であった。

何もかもにおいて「停滞」が続いている中、そして迂回しても何も変わらない他、おまけに邪道なるルートを辿ることすら許されない今、信号が進めという色を提示していても、ほぼ全体が様々な危険や停止の色によって覆い尽くされてしまっている現状。

その目の前にある流れをじっと待つようにして、ゆっくりと進むしか道は開かれないものなのか。
そう考えるだけで、渋滞というものは本当に苦手なものであると改めて認識するのであった。


ようやく家に辿り着き、母親にその旨のLINEすると「大雨で疲れたでしょう」と返答がきた。そういえば所々で大雨に見舞われていたのを思い出した。

思い返せば、道中で傘をさしながら横断歩道を渡ってくる歩行者がいたり、空から降ってきた雨水で視界が見えづらくなってワイパーを動かしていた。
それなのに、渋滞につかまってばかりいてそっちに気を取られてしまい、雨の存在すら忘れてしまっていたのである。

片道約7時間。単に帰るだけだったはずなのに、あらゆる場所を走って渋滞につかまり続けたその日は、いつもより何倍もの疲労感を覚えた。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!