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ラクエンニアラズ

自分のいる場所ははたして「楽園」なのか、あるいはそれ以外なのかー。

時々とある駅の地下にある長い長い通路を通り抜けるたびに、壁にもたれかかった路上生活者ホームレスを目にすることがある。

彼らはいったい何を思い浮かべているのだろうか。そして何のためにここにいるのだろうか。もしくは何かが起こるのを待っているのだろうか。

一部の人には、私のような人間が背負っている悩みを「贅沢なこと」だと思われていることだろう。衣食住と何の不自由もなく暮らしていて、これ以上何を望むのかと。

だとしても、私は自ら想像した楽園に向かおうと…いや、今の状態は取り戻そうとしていると言った方がいいのかもしれない。

何度も彼らの姿を見かけるごとに、私自身も強く前に動かさなければならないと、内に決め込んでいくのだった。そして唐突に「楽園」にまつわる二つの楽曲を思い出していた。

今からおよそ20年以上前の平井氏はデビューして以来、それまでの活動の中でヒット曲に恵まれずさまよっていたという。その話は当時放送されていた各々の音楽番組を中心に、一つの話題としてかなり取り上げられていたと記憶している。

もしこれで売れなければ契約打ち切りという崖っぷちの状態で、平井氏は自身の歌手生命をこの曲にかけていた出来事を念頭に置いて聴き直すと、思わず感情移入せずにはいられなくなってしまうのである。

「大きな古時計」や「瞳をとじて」などの名曲があるからこそ、うまく伝えられないかもしれない。少なくとも私には、小学生のある時に平井堅とその「楽園」に出会ったことが、今日に至るまで色褪せることのない出来事であったりするのだ。

 

もう一つ「楽園」という単語を耳にした途端、脳裏にすぐさま出てくるのはこの曲である。
ちなみに「RAKUEN」が本来の表記であるが、これも恐ろしいことにその打ち消し線があるなしにも関わらず、ある意味で二面性を持った一つの楽曲として完成してしまっている。

東日本大震災が発生してから一年を迎えようとしている中でのリリースであったからか、作詞した田中氏なりのアプローチがここに含まれているとふと思ってしまう。

それにしても私自身のGRAPEVINEに対するリスペクトは、側から見ればもはや異常な部類だと思われてもおかしくないかもしれない。

 

そんなふうにして急に思い浮かべてしまったのは、先日書店にてとある一冊の本を手に取って目を通したからだ。

前々からYahoo!ニュースのある特集で取り上げられて以降、その存在が頭をチラつかせていたが、なかなか手を出せずに長引いてしまっていた。

そうしてようやく手にすることができ、読み終えることができた。そこで私が感じたのは、まさに「楽園に非ずラクエンニアラズ」ということである。

なぜそう思ってしまったのか、どうして自分の中でそう結論づいたのかを、また別の記事にて「読書感想文」という形で紹介しておきたい所存だ。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!