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「さようなら、はじめまして」が聴きたかった

よくよく考えたら、なぜ学生の頃かもしくは20代の頃にもっと聴き込んでいなかったのだろうか。

自分の中では好きなサウンドがぎっしり詰め込まれているのに、これまで一度も耳にせず何やってきたんだと猛烈に後悔してしまっている。

というのも、東京事変の「能動的三分間」をフルで初めて聴いたのは今からおよそ1時間前のこと。

食事を済ませてイヤホンをつけて音楽をかけながら皿洗いをしている最中で、半分終えたところで急に流れ始めたのである。

「さようならはじめまして」というワンフレーズが両耳に触れた瞬間、思わず台所から部屋に戻っては画面に目を映し、そこで流れている曲がどんな題名だったかを確認していた。

冬の寒さで冷たくなりすぎている水道水に、手を入れ続けなければならない苦行(?)からどうにかして解放されるように。

当初はSuchmosを聴きたくて再生していたつもりが、どこで何がどうなって偶然にもその曲が流れてきたのか、その場では分からなかった。

だが、AIなるものが「あなたにとってこの曲が好みでしょう」などと何かの拍子でシャッフルをかけてきたことも一理あるかも知れない。

おかげで自分の何かが吹っ切れたような感じがしていた。

 

本当ならばこうして片付けをしながら、今日は何を書こうかと考えていた。しかし前述の通り、かつ冬の水道水に触れ続けたまま、いつのまにか思考がヘンな方向にいってしまった。

いつものごとくヘビーローテーションしていても、椅子に座ってこれから何かを打ち込もうとする姿勢だけでは、自分が思い描いている何かが浮かばないかもしれないと。

その結果立ったままキーボードを打ち込み、リズムに合わせて意味もなく言葉を紡いでいる。

いったい自分がなにがしたくてこうしているのかわからずとも、たまに第三者から見て理解不能なスタイルで創作しておかなければ、大それた話もう一つの道が開けないー

という一種の危機感…を持っていたら、今頃になって踊り狂ったかのように手が動き続けている始末である。

普段他の方達がどんな趣きで、姿勢で、文字を綴っているかを想像するよりも、どんな方達にどんな目で見られているかを考察するよりも、

今は何も考えず、再び自分の心ゆくままに文字を起こしたい気持ちが強く出ている。

そして曲の終わりを知らせるような「ピー」という効果音なるものが鳴っても、「さようならはじめまして」のワンフレーズをもう一度聴きたいがために繰り返している。


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