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お月様も同じように

先週の仕事帰りにいつも通り車を走らせていると、前方には黄金に光り輝く月がいつも見える位置よりも近い距離に浮いていた。

小さく青白い光を灯しながら夜空をゆっくりと舞うお馴染みのとは異なり、まるで別人かと思わず勘違いしてしまうほどにメイク映えしている。そんな温かみのある色と存在感をのせて、煌々と強く放っている。

「そうか、今週あたりは十五夜だとか言っていたなぁ…」

中秋の名月とも云われている中で、今頃はどこかで誰かがスマホを取り出してはあの黄金の月を撮影していることに違いない。できることなら私も今すぐに撮りたかったが、運転の真っ最中であるがために記憶に焼き付けることしか手段が思いつかなかった。

帰宅する頃には、この眼でとらえることができない位置に隠れてしまうからだ。常に夕暮れにかけて、西からの日差しが入り込んでくる場所に構えている家にとっては、近隣や人前を気にせずじっくりと眺めることさえままならないのである。

翌日の夕方もその黄金の月は、存在感をまったく失うことなく浮かんでいた。前の日に見ていたのと同じ色も輝きも、そして存在感も何一つ変わることなく。

けれど少しだけ、私は違和感を感じていた。帰る時間帯はさほど変わっていないのに何かがおかしいと思いつき、唐突に自分の中で間違い探しゲームが始まった。

大通りに出てさらに進む途中、手前の信号が赤色に変わる間際でようやく気がついた。そういえば前の日に見えたものと比べたら、この日の月はほんの少し低い位置に浮かんでいたのだ。

そこで私はきっと自分たちと同じ、いや、自分たち以上に人間味が溢れているのだろうとなんとなく思ってしまった。

ほぼ同じ時間帯にきまって昇ってくる真面目さがある一方で、満ちては欠けていくことを繰り返しながら時折雲に隠れつつも、私たちの目の前に現れたりそうでなかったりという人見知りな性格を持つ。

それとは真逆に通例の行事(?)として人前に出る時は、モデルみたいに必ず化粧を見違えるほどにバッチリと決めてきては、見る人すべてを虜にしてしまうカリスマ性を秘めている。

ただ前夜祭なるものでは完璧なほどまでに決め込んでいたのに、十五夜というメインイベントでは私から見て若干遅れ気味で登場したかのごとく、不器用な一面が垣間見えた気がしている。

そう思うだけでもちょっぴり安心感というか、離れた位置にいてもいつでもそばにいてくれるような親近感を覚えた。

そんなふうにして色々と思い描くだけでも、可能性は大いに果てしなく広がるものだ。そして今の私たちが単にイメージを膨らませるだけでは、仮に月自体が想像していたとしてその範疇はんちゅうにとどまらないことだろう。

そして次に会う時は、いったいどんな姿で私たちの目の前に現れては、心から惚れ惚れとさせてくれるのだろうか…。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!