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同じ爪あとを残す

唐突な話だが、今の現代に生きる日本人は「フランク・ザッパ」というアーティストの名前を耳にしたことがあるだろうか。
あるいはそのうえで、その人の曲を聴いたことがあるかという問いに対して、どれくらいの方が「はい」と答えてくれるか、内心気になるところだ。

ちなみに私がこの方を知るきっかけになったのは、中学生から高校生の時期をかけて、スガシカオの音楽にのめり込んでから数年後のことである。

ある日、YouTubeで当時CSで放送されていた「シカオノヨウガク」という番組の特別版がアップされており、その中でスガ氏がフランク・ザッパを紹介していたのを境に、彼の名前を一人のアーティストとして知るようになった。

スガ氏もこの動画内で語っているが、彼の楽曲作りは他者の追随を許さないほど、創作のペースが尋常じゃない。
それはとにかくという言葉でもっても、簡単にはまとめられないぐらいにだ。これまで発表してきたアルバムは、述べ100枚以上といわれている。

多い時は1年に4つのアルバムを発表しており、それも1枚のみではなく2枚組以上で収められているのが恒常的である。
93年の没後から今年でまもなく30年が経とうとしている現在も、まるで底が見えないと言わんばかりにアルバムのリリースはまだ続いているそうだ。

改めてAmazonやWikipediaなどで彼のディスコグラフィを覗いてみたが、一人のアーティストが普通ではあり得ない期間で発表し続けていたのかと思うと、驚愕以外の感情が出てこない。

私の知る限り、国内外問わずここまで数多くの楽曲を発表しすぎて独走状態となったアーティストは、他にいないかもしれない。

私たちが想像しているような範疇を超えているだけあって、おそらく全ての楽曲を聴き終わるまでに、最低でも一年以上はかかってしまうのではないだろうか。

これでは一般のリスナーがついていけなくなってしまい、シーンから去っていくのも不本意ながら思わず頷いてしまう。

その一方で彼の楽曲を聴けば聴くほど、他のアーティストにはない魅力や再現することが難しいと思えるほど表現の豊かさが、両耳を通じて伝わってくる。

もし今後、フランク・ザッパのように立て続けに楽曲を発表できる天才が再び現れたとしても、現在の大半のレコード会社はきっとビジネスを続けていく上で許容はしないだろう。

諸説は色々とあるかもしれないが、アルバムを短期間でリリースしすぎてファンやリスナーがついていけなくなってしまったという一つの事例は、既にこのフランク・ザッパが立証している。

面かぶりクロールでひたすら泳ぎ続けるように、立て続けに発表しすぎてしまっては、いずれ予想がつきそうなところで溺れてしまうのが明白だろう。

そう考えた時いくら「天才」と謳われようと誰よりも「実力」において秀でていようと、相手に息継ぎすら与えないような「狂人」となってしまっては、もはや一つのビジネスとしては成り立たない。

 

それは音楽や創作に限らず、あらゆる社会の分野においても同じことが言えることだろう。
どれだけ自分達にとって良いものを集中して注ぎ込んでつくったとしても、それらが受け手の元に渡らなければ、本来成し遂げるべきだった目的の意味がなくなってしまう。

「こだわりのない生き方はできないが、こだわりすぎてもいけない」と誰かが云うように、ちょうどいい塩梅にしつつ天秤に掛けるようにして物事を進めていく方が、半永久的に回していく点においてはうまくいくのかもしれないと思う。

私も此処noteを通じて伝えたい言葉は、書き始めた時と比較してだんだんと増えてきている。しかしながら常に何かしらの形で要点を絞って綴らなければ、自分にとっても予期せぬタイミングで空回りしてしまうだろう。

そうならないようにしていく意味で、己自身との闘いはこれからもまだ続くのである。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!