【随筆】わが郷愁の「南海コレクション」 ⑥
「ピカソが欲しいんだよね!」
いつもどおりの昼下がり。
ガラステーブルの上には、ほうじ茶とチップスターが20枚ばかりのった小皿。
カリポリ。
いつものように、私がチップスターを囓る音だけが、無音の院長室に響く。
「でも高いんだよね。こんな小さいのが、1000万以上する! 買えないねえ」
緒方院長は、足下に転がっている、ローランサンだか誰だかの、50cmくらいの油彩を指差して言う。
その時の絵は買う気がまったくなかったらしく、乱雑に重ねられていた。
念のため言うが、すべて本物のエコール・ド・パリの油彩である。
当時でも数百万円、今ならむろん桁が違う。
語尾に「ね」と付けるのが、緒方先生の癖。
「ベートーヴェン、ね」
という具合である。
が、「ピカソは高いんだよね」と言った時の「ね」は、いつになく大きな嘆きを含んでおり、私は、本当に先生ピカソが欲しいんだわ、とわかった。
すっかり諦めたとばかり思っていたピカソが、南海病院にやってきたのは、それからほどなくして。
受付の奥に、馬鹿でかい、山らしきものが描かれた絵が飾られた。
(また先生たら、あんな訳のわからない絵を掛けて。それにしても随分大きな模造紙ねえ。きっと銀座で買ってきて、隣の幼稚園の子どもたちに、絵を描かせたんだわ)
緒方先生が子ども好きなのは知っていた。なぜなら、私自身が子どもだったから。
ちなみに、南海病院の絵には、作者やタイトルなどのキャプションはいっさい付けない主義。
だから、トイレに本物のマティスが掛けてあったりするけれど、普通の人はわからない。
絵は心で観るもの。感じるもの。
そういう考えだった。
私には、絵は写真で見てはいけない、と言い、画集の類いはいっさい見せなかった。
全部、本物。本物の油彩。
今考えると、何と贅沢な子ども時代だったかと思う。
東京ならいざ知らず、人口五万人の九州の片田舎で、本物の西洋画が、日常的にゴロゴロ転がっている環境だった。
緒方先生が高い絵を買えなかった訳は、自分のお金で絵を買っていたからだ。
実は、お給料の額も教えてくれたのだけれど、ピカソを買ったら生活が大変になっちゃう、と思ったくらいの額だった。
なぜ絵を、それも本物を買うのか、その理由について、先生は私に、何度も、何度も、しつこいくらい繰り返し、言って聞かせた。
そしてそれこそが、私が今《南海コレクション》に関わっている理由でもある。
大分県立美術館も知らない、南海病院の現スタッフも知らない。
もう私しか、伝える、伝えられる人間がいないのだ、と察した時、いかなる形態であっても、伝えていかなければ、と覚悟を決めた。
先生は、私利私欲でこのピカソを買ったのでは、決してない!
その本当の理由については、次回にゆっくり。
特に佐伯市民には、耳をかっぽじって聴いて欲しい、と願う。
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