金の脳

アドラー心理学と趣味とインセンティブ

「嫌われる勇気」、ベストセラー。実は私も以前に買って読んだ。手元にある。たまたま久々にYouTubeでそのまとめ動画を見て思い出したこと。

要素は3つだ。(相手の)目的を考える、自分内制御以外の要素は無視する、感謝する。

原因を考えるのではなく、目的を考える

原因論は捨て去って、なぜ(相手は)そうしているのかという「目的」を考えるのだ。相手が怒っているのは単に「服従」を望んでいるだけなのだ。そうでないなら淡々と注意すればいいし、そういう人もいることは間違いない。怒って声を張り上げる理由はそれだ。クレバーな自己演出よりも服従を望んでいる結果なのだ。それが目的といってもいい。結果=目的と考えてみると分かりやすいかもしれない。

自分で制御できないことはさっぱり無視する

結局は自己制御不可能な項目は考えても考えなくても結果は変わらない。だから大胆に無視して寝る。それだけだ。

感謝する

物事に対して感謝する。まずそれができるかどうか考える。そうすれば褒めるということに起因する「上下関係」を作らずに済む。上下関係は下の者のに悪影響を与える。どうしたら気に入られるか、というパラダイムを下の者に与えてしまう。上司に気に入られることが最優先事項となり、上記1,2が反転する悪循環に陥るのだ。実は日本の社会のパラダイムはこれに支配されている。だから事態が好転しない。恐らくこれからも。結果、本人が疲弊して朽ちるだけだ。このことに気づき始めている人も多い。

感謝のパラダイムは平和だ。誰しもが感謝されて嫌な気分にはならない。また本人に謙虚さと冷静な判断力を与える。感謝は傲慢と正反対のパラダイムだ。

趣味とインセンティブ

例えば、SNSサービスで自分の活動報告をして、その反響が大きければ嬉しい。これは間違いない。だがアドラー心理学でいうと、この満足感は3つ全てに反するリスクをはらんでいる。

どうしたら反響が大きくなるか(目的ではなく原因の探求)、どうしたら反響が大きくなるか(それは実は自分で制御できないことなのにね)、どうしたら反響が大きくなるか(反響してくれた人への感謝・貢献を考えるよりも数字を追い始める)、どうしたらインセンティブスコアが増えるか。

インセンティブが増えて何になる?

目的を考えよう。インセンティブ・スコアが増えてよくなることは単なるAmazonギフト券への変換の可能性が増えるだけだ。たったの数十円。でも、目的が金銭相当の増収ならば、他の手段のほうが効率的だったりする。数十円なら定期預金の利子で補える、など。目的を考えれば、インセンティブの増加はマネタイズの手段としては決してよい手段ではないことが明らかだ。アドラー心理学的にもそうだが、冷静に計算してみても実際にそうだ。

インセンティブは読者数に応じる。だが読者数の増減は、厳密には「自分の手でどうにもならない」事象だ。運任せ、他人任せの項目だ。だからそういうことは無視して忘れるのがいいってのがアドラー心理学だ。確かにその通りだ。今やきもきしてみても、明日のスコアの数字が変動することはない。全く無関係な事象だ。面白いかどうかすら、既に自分の手を離れている。読者層は顔の無い他人。年齢・性別すらも不明なのだから、嗜好すらもばらばらで正反対であったりする。結局は自分で制御不能な領域だ、ウケるとかウケないとかは。

またインセンティブスコアが増えたことで、誰に何をどう感謝し、何を彼ら/彼女らに還元できるか?まったく不明だ。私がほくそ笑むだけだ。たった数円の「可能性」でしかないのにね(確定スコアは翌月の10日まで誰にも分からない)。

そう考えると、日々のインセンティブスコアを追うことに全く意味がないことになる。確定するかどうかは「自分でどうにもできない」ことなので、それをWatchすることにすら意味はない。つまりアドラー心理学に沿ってみても、全く無駄な行為ということになる。

SNSのレスポンスとか、インセンティブとか、本当に意味があるか?あなたによい影響を与えているか?アドラー心理学に沿って考え直してみよう

Twitterの反応、noteのダッシュボードのPV数、ブログのGoogleアクセス解析、アルファポリスのインセンティブスコア、どれもアドラー心理学の3要素にヒットしない。つまりはどうでもいいことなのだ。もしどうでもいいことではないと思えるのであれば、それらの3要素の全てを満たせる項目であるべきなのだ。(インセンティブやアフェリエイト収入が生活の基盤の一部、というようなアフェリエーターの場合。)

目的、自分内制御、感謝。

そうでなければ結局は「無駄なやきもき、徒労」でしかない。ぶった切るようだが、アドラー心理学に沿えばそういうことになる。ばっさりだが、シンプルだ。

そんなものに振り回されてロスするエネルギーを、目的、自分内制御、感謝の3つに重なる「自分にとって価値あること」に注ぎ込み、注ぎ込み続けたほうがいい。それが自分のパワーになって返ってくる。自己投資とはそれなんだろうな、と思っている。

何でこんなことを考えているかっていうと

最近、若干だが、Twitter、note、アルファポリスのスコアに振り回されている自分がいることが分かったからだ。どうやって整理すべきか、というタイミングで、かつて読んだアドラー心理学のコアに戻るチャンスがあった。そこに沿って考えると、どうでもいい・つまらないことに振り回されている自分がいたことに気がついたのだ。

自分は何のため(目的)にそれをなしたいのか、自分でできることは何か、何に感謝し、どんな風に感謝されたいのか?

ここを少し整理したいと思う。しばらくは創作活動が鈍るかもしれない。ここを整えない限り長期的な創作活動はできない気がしている。場合によっては創作活動の内容変更や中止すら有り得る。これは重要な事だ。何せこれからの人生の貴重な自分の時間をそれに投資するわけだから。

目的、自分内制御、感謝。この3つのパラダイムで自分の今後の行動を見直してみたいと思っている。

今回の創作活動は約30分(累積 約824時間)
(295回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊