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落書きに告白を見つけ赤面

※以前詠んだ自由律俳句を表題にして作成したエッセイです。


22年間過ごしたこの家の、
1番太陽の光が入る南向きの部屋。


ここが私の部屋じゃ無くなるまで後10日ほど。
母は末娘がもうすぐ家を出ていくというのに、長きに渡る子育てが完了した事への開放感で嬉しそうだ。


人生最後の春休みを只管に謳歌し尽くした私に残されたのは、引越しの準備だった。

引越し先は勤務先となる会社が斡旋してくれた借り上げの新築マンション。
実家からは車で2時間ほどの所にある。

新しい生活にときめかない訳ではないけれど、目の前にある蓄積された思い出と対峙しながらそれらを片していく作業には必然的に時間を要する。

おまけに3月の陽気が部屋を暖めて眠気も誘う。


クロゼットに積み上げられた中学時代の教科書を取ろうと背伸びをした途端、雪崩が起きた。こんな感じで部屋は片付くどころかどんどん荒れていくのだ。

捨てなきゃなあと乱雑に積みなおす。

表紙と裏表紙が開かれて着地した"中学生の歴史"を手に取って返すと、ペリー来航の頁だった。

ペリーの肖像写真にシャープペンで落書きがしてある。髪型が大幅に変わっていて、下に、平泉と書いてある。

かつて、このペリーみたく堀が深く、いつも難しい顔をしていた先生がいた事と、彼の名前が平泉だった事を思い出して堪らなく懐かしくなる。

7年前の記憶を辿る。

これは私が描いたわけではない。
…描いたのはそう、岡田君。

岡田君の下の名前が思い出せない。
何故なら彼とは同じクラスになったことは一度もなかったから。

私たちは放課後のグラウンドでお互いの部活風景を眺める、そんな曖昧な間柄だった。
彼のチームメイトがコートの外へ蹴ったサッカーボールを何度か蹴り返したり、私が取れなかったテニスボールを投げ返してもらったり。

言葉を交わす以前に、そういうやり取りを何度かした相手。

鮮明には思い出せないけど、いつも笑っていて朗らかな男の子だったと思う。

中学3年の夏、お互いに部活を引退しグラウンドで顔を合わす事が無くなってからは廊下で合えば会釈したり、ちょっとした会話をする様になった。

そしてその頃から彼は歴史の教科書を頻繁に私に借りに来るようになった。


「なんで借りるん?毎回毎回」

「無くしたけどもう半年で卒業やん、今更買うのアホらしい。」

言い分も最もたが、試験勉強はどうするつもりなんだろう。中3なんだし勿論受験勉強だってある。

彼から返ってくる教科書は時々、先述の様な落書きがしてあった。
単なる落書きでなく、ちょっとウイットに富んでいて私は素直に面白いと思って、怒れない。
何なら少し楽しみにしてまた貸してしまう。

そのやり取りが1ヶ月ほど続き、受験も本格化する秋。彼は呆気なく転校してしまった。

最後にした会話は曖昧だが、こんな時期に転校しなくてはならないのは親のせいなんだと恨み節を言っていた気がする。

色んな事があった中学生生活の、ほんの一コマにしか過ぎない思い出で、卒業してから彼のことを思い返す事など一度もなかったけれど、
あらぬ方向から思い出は蘇る。

卒業アルバムにも載っていない、クラスメイトでも無い、僅かに交流のあった昔の同級生の事を思いつつパラパラと教科書を巡っていると、索引の頁番号に丸がついているのを見つけた。

同じ筆圧で12、36、127、180の所が囲んである。


12ページを捲る。縄文時代。

…人々は竪穴住居に暮らすようになりました

その中の「す」に丸がしてある。

これを最後まで同じ要領で説明するのも野暮だろう。

全てのページに書き残された丸を辿ると

すきです

という一文になった。
もちろん私が書いた記憶はまるで無い。教科書を岡田くん以外に貸すことは無かった。

そう言えば、
落書きに謎の記号を残したりする彼だった。
頑張って解読しても大概はしょうもない内容だったけれど。

(いや、これは気付かない…)


数年の時を経た不意打ちを食らい、私は思わず赤面する。

思い出そうとするもののうまく思い出せない。

埃っぽいグラウンドの匂いや、
眩い光の中で飛び交う掛け声の中に、
彼の残像や声は景色に溶け込んでいて浮かばないまま。
それは何年経っても褪せていくばかりなのだろう。

それでも落書きの中に見つけたたった4文字の言葉が、春の日差しの中でぽかりと浮かんでは私に染み込んでいく。

その時受け取られなかった好きだという気持ちはもうどこにも存在しないだろうけれど、
私はこの先、おそらくいつかこの言葉に励まされる日もあるのだろう。

窓の外にモンキチョウがふわふわとつがいで飛んでいる。
私はまたしばらくぼーっとして、片付けが出来ないでいる。

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