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【掌編小説】残ってる

※吉澤嘉代子さんの残ってるという曲からインスピレーションを受けて作った掌編小説です。




彼女が好きだと言った曲が流れた。
明け方のコンビニは閑散としていて、その透き通った声が響く。
ここは人が居なくてもいつでも眩しい。冷たい蛍光灯の光が可読性の強い彩色のパッケージを照らすから。

でも外に出れば夜が明けた新しい1日が始まっていて、生まれたばかりの陽が静かに世界を暖めている。
コンビニのバイトは単調で無機質だが、夜勤を終えた後に触れるその世界は好きだ。


「この歌の歌詞が良いの」

うっとりした声でそう言った。何度も聞いていたしカラオケでも歌っていた。そんなに好きならバンドでコピーしないのかと聞いた事があるが「ムラマサ君の前では歌えない」と言っていた。

彼女が夢中になっているムラマサを僕はよく知らない。彼女曰くムラマサと僕の嗜好は近しいらしい。

大学に入って暫くした頃、彼女はビートルズやoasisのCDや村上春樹の小説を頻繁に借りに来るようになった。今までそんな事は一度も無かったのに。現金な奴だと思う。


曲が終わる前に、ラジオDJが話し出す。

「この季節にぴったりの曲ですね」
「切ない恋の歌ですね」

そうですね、その通りですね、そんな風に解釈しますよね。うっとりなんて、しないですよね。


煩い声が最後のメロディーを掻き消して、アップテンポなアイドルグループの曲に切り替わる。海に行こうとか君に会いたいとか、前後脈略のない言葉を甲高い声でつらつら歌っている。どこを切り取っても貼り付けても印象の変わらない曲だと思った。


僕は歌詞に注目して歌を聞かない人間だった。ポピュラーミュージックに何かを諭された様な体験は一度もない。
それなのに、「この歌詞が良いの」と言った君の顔を思い出しては、夜勤中にかかる音楽の歌詞を注意深く聞く癖が付いてしまった。


6時10分、バイトを終えて外に出る。
一昨日よりも昨日よりも夜がほんのり残る気配に季節の終わりを感じた。

信号を待っていると、景色にそぐわない真っ白なワンピースがふわりと視界の隅に入った。横断歩道を闊歩する彼女だった。

以前も僕は一度、夜勤明けに彼女を見たことがある。朝日の中、昨日の服を着て歩く彼女は、僕が見た事のない女の子になっていて、やっぱりとても、どうしようも無く美しかった。



僕なら村上春樹だと世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを最初に薦めるし、ビートルズならFool On The Hillとかポールの楽曲が好きで、 

そして僕なら、こんな早朝に君を帰したりなんかしないのに。



もし秋風が彼女を夏に置いてきぼりにするのならば、僕は何処で待っていようか。

そこには報われる事のない想いがただ2つ残るだけかも知れない。


そんな事をぼんやり思いながら夏は暮れゆく。


改札はよそよそしい顔で 朝帰りを責められた気がした
私はゆうべの服のままで 浮かれたワンピースがまぶしい

風をひきそうな空 一夜にして 街は季節を越えたらしい

まだあなたが残ってる からだの奥に残ってる
ここもここもどこかしこも あなただらけ
でも 忙しい朝が連れて行っちゃうの
いかないで いかないで いかないで いかないで
私まだ 昨日を生きていたい

駐輪場で鍵を探すとき かき氷いろのネイルが剥げていた
造花の向日葵は私みたい もう夏は寒々しい

誰かが煙草消したけれど
私の火は のろしをあげて燃えつづく

まだ耳に残ってる ざらざらした声
ずっとずっと近くで 聞いてみたかったんだ
ああ 首筋につけた キスがじんわり
いかないで いかないで いかないで いかないで
秋風が街に 馴染んでゆくなかで
私まだ 昨日を生きていた

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