米津玄師のツイキャスが心の拠り所だった時の話

初めて聴いた米津玄師の曲は『アイネクライネ』だった。

2014年の高校に入学した春、教室でYouTubeを開いて「ステキな曲調とMVだなぁ」と心がほっこりしたのを覚えている。

そこから、ボカロ好きだった友達が「米津玄師ってボカロでは『ハチ』って名義で活動しててさ...」と教えてくれて、『パンダヒーロー』『マトリョシカ』『ドーナツホール』を知り、「メロディーが頭にこびりついて離れない」という感覚を初めて味わった。

当時、米津玄師は不定期でツイキャスをしていた。月1くらいの頻度だったと思う。

その頃は高校に馴染めなかった時期だったこともあり、不登校だった過去がある米津玄師に勝手に共感し、彼のツイキャスが心の拠り所になっていた。

気怠げな声で雑談を交えつつ、弾き語りで曲を披露してくれるその時間が毎月の楽しみになっていた。

高音が上手く出せずにサビを何度か歌い直すところも、まるで自分にしか見せない一面を見せてくれているようで、心が弾んだ。

画像1

(高校1年生の時に買ったシングル『Flowerwall』。カップリング曲の『懺悔の街』が好きです。)

高校1年生の暗黒時代を抜け、2年生からは学校が楽しくなった。部活も勉強も全力で打ち込み、友達や恋人にも恵まれ、理想的な高校生活を送っていた。

毎日が忙しく充実していたので、いつしか米津玄師のツイキャスを楽しみにすることを忘れていった。ツイキャスよりも、明日に控えているテストの勉強、部活の準備、彼女とのLINEの方が優先されていった。

そんな充実した高校生活を送り、受験を乗り越え、大学生になる頃には、米津玄師は日本中に知られるアーティストとなっており、ツイキャスもいつも間にかやめていた。

もし高校1年生の時に米津玄師に出会っていなくても、『Lemon』がリリースされた2018年あたりで確実に認知していただろうし、そこから好きになっていただろう。

それでも、学校に馴染めず塞ぎ込んでいた高校1年生のあの時期に、米津玄師に出会えて良かったと心から思う。







この記事が参加している募集

思い出の曲

いただいたサポートで美味しいご飯を食べたいです!