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美容について

学校に通って1年も経つと、クラスメイトも少しずつ、それぞれの道を模索しているなと感じることが出てきました。クラスの男性でどうやら美容鍼灸の方向へ歩き出している子がいます。綺麗な子で、全体的な雰囲気から見ても合っているなと感心しました。(何様)

対して、私は美容鍼灸には向かないだろうな、と常々思っている節があります。顔の形、細部への興味が、女性だというのに、極端に少ない自覚、あります。

専門性を謳う鍼灸院の中でもよく聞く『美容鍼灸』。
今回、人の話をキッカケに、美容に対するハードルが少し下がったので、記しておこうと思います。

私の『美容』に対する立ち位置

美容に関連する物事に苦手意識があリマス。
私は女性で、特に男性になりたいという心を持ちあわせた訳ではないのだけれど、特に化粧に対しての苦手意識が強い。

男性で化粧をする方がいるけれど、彼らのが美意識が高いと思う。ゆえに美容鍼灸をやってはいけない人間なのだと思っている。(前職でもそうだけど、好きな人がやったらいい)

私は上半身の多汗が物心をついた時からあるので、夏場にファンデーションを塗ろうものなら、ドロドロするのではなくて、汗とともに流れ落ちる。そして、一重でメイク雑誌に載っているアイメイクをやってみるもなんだか目元がさらに怖くなった高校時代。

そんな体質的にも甘え、ずるずると、生きてしまっている。基礎でもうそうなのだから、それ以上の高度なことはさらによく分かりません。スキンケアは気になる。肌の手で感じるところは気になるけど。

そんな状態のやつが、顔のリフトアップとか、そういう目的の為の施術なんて出来っこないから、多分触れる機会はなかろうと。

今回教わったこと

美は不変ではない、つまり、多様性がある。
そしてそこをどう解釈していき、自分のキャラに落とし込むのが面白い。
中根一先生の言葉まとめ(うろ覚え)

今日、いつも参加させてもらっている鍼灸のオンライン勉強会の片隅で、美容についてのお話を聞いて腑に落ちたことです。逐一メモをした訳ではないので、少し解釈が異なるかもしれません。

先生はよく物事を分解して、自分なりに組み立てた解釈をお話されます。本でもネットでも一般的解釈が普通に使われることの多い今、先生の言葉は考える機会になります。今回も『美容とは?』について、まず考えてみようということでした。

美容とは、一般的には『容姿を美しくすること』と出てくるそうです。
そこで、分けて調べていきます。

美とは、『価値の一つ。かつ、不変的定義は無い。』もしくは、大きい羊と書いて、その『豊さ』を表す。

ここでポイントなのは、
対して、世に言う美容整形は黄金比という不変の考えを元に行うものであるらしく、要望は根強く、マーケットがある。だから美とはそれであるという考えも存在すると言うこと。

はたまた、
容とは、『佇まい』を表す。白川静の書物で引くと、祈る際に使う物の上にかすかに現れた神の姿から『すがた・かたち』と出てくるのと、『いれる・ゆるす』という意味も出てくる。

先生の解釈では、まず豊さを『自分以外の誰かを羨まない人』としている、と話されていて、上記にある『ゆるす』が心に引っかかる。

専門を謳っていないが、美容鍼灸もされている先生で、こんな考えを元として、古典鍼灸と現代の研究を組み立て、自らの治療方法で施術に臨んでおられます。(一般的イメージの美容鍼灸をされていないということ)

其々の人間に、課題なり疑問なりがあった状態で、何か体験して、気付くに至る。これが東洋思想の悟りのサイクルだそうです。

課題なり疑問なりを持つことが、まずスタートなのだとすると、『美容』に対する違和感も、自分の味にする日が来るのかなと思ったりしました。きっと、顔のリフトアップは出来ないかもしれないけど。

学んでいる事の落とし所へのヒント

三十路に近づいてようやく、人として美しいなと思った人がおりまして、感動することがありました。今まで、物に対しては美しいと思うことは数多くあれど、人に対してしみじみと思ったことが少ない。(私どうなってんだ)

日頃から、ご年配の使いきった手を見て、美しいなと考える時はあれど、近い自分に目指せる美の方向があるのならば、やってみたい気持ちはあるから。それがよくわからないまま日々過ごしていたので、結構な驚き案件。

その人は、Emeline Rochefeuilleという方で、ダンサーです。
女性で、短髪で、とても美しく音に合わせて踊っている方です。
詳しいことは、よく知らないですが、静かにときめいて動画を見ています。
推したいのでURLを貼ります。真ん中あたりから踊り始めます。

なんで美しいのかなって、言葉にできていなかったのだけど、前職で名前を知った、華道家の上野雄次さんの言葉を拝見して、思い当たる。(これも今回の勉強会でたまたま華道の話をされてて思い出した)

造形物として美しいバランスとは、いかに鮮やかに重力に逆らうか、ではないかと考えた。
上野雄次さんのインタビューから

とても小さい花器に、道端で摘んできた花を生けているだけなのに、とても美しい。そんな経験を以前していて、それが人の、しかも動きの中で感じられるから、美しい。

きっと、人の動きを見る中で、重力と美しさを結びつけるに至ったのは、今いる環境の要因が大きいです。地球上に人がいるということは、常に重力に逆らって体が働いていて、その持ち主の体の使い方で、暮らしが大きく変わるということを体験しているからだと思います。

体をうまく使える感覚は気持ちいい。いつも使ってない体が使われるのも気持ちいい。でもそれってどうやって表現していけばいいのだろう?という疑問を持っている。そんな中に、彼女が踊ってる姿が目の前に出てきて。静かにときめいて。

もちろんこれでいきなりダンス始めるとかそういった話ではなくて、(多分…)そういう美しさを目指すってイメージを持つのは大きな意味があるなと思う話。

ほぼ、彼女を推したいがために記事を書いたんだな。わたし。笑

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