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【前編】岡山の百閒と漱石を訪ねる。

 内田百閒が好きだ。もっと言うと、「直弟子なのに、師弟関係というよりどこまでも漱石ファンな百閒」が好きだ。

 というわけで、私の中で百閒と漱石は切っても切れない関係である。つい先日出たばかりの、百閒が書いた追悼文集『追懐の筆』(中公文庫)でも冒頭から漱石との思い出や葬儀の話が読めます、オススメです。

吉備路文学館 パネル展示「漱石の岡山洪水体験」

 さて百閒のふるさと岡山市には、ゆかりの文学者について紹介する吉備路文学館がある。JR岡山駅から徒歩圏内、2019年には内田百閒展も開催と、しばしばお世話になっている文学館だ(いつも親切丁寧なご対応ありがとうございます!)。

 吉備路文学館、現在の企画展は尾上柴舟展と小川洋子展の併催なのだが、「3.11 文学館からのメッセージ」という全国の文学館による共同展示の一環で、「漱石の岡山洪水体験」というパネル展示も行っている。

 …行っている、らしい。行っていると思う。…公式サイトに情報はないけど、共同展示一覧のPDFには載ってるからやっている、はず。…という、ちょっと不安な状態ながら、実際に新幹線に乗って岡山まで行ってきた。岡山県立美術館で開催中の「雪舟と玉堂」も観たかったし(すっごく良かった!!)。や、やってるよね? 大丈夫だよね??

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 やってたー!!良かった!!(以下も含め撮影&アップ許可済/ありがとうございます)

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 棚ひとつぶんのこじんまりした展示だが、これがとても可愛かった。明治25年、大学の夏休みに岡山の親類(正確には違うがややこしいので割愛)の家に逗留中、大規模な水害に遭った漱石夏目金之助(25歳)から愛媛県松山市に帰省中の正岡子規(25歳)に宛てた手紙の紹介をしている。この貼られている絵も可愛いけど、もっと可愛いのはその内容と、展示のしかた。

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 パネルで展示されている手紙の現代語訳(若者風)を、実際の手紙のように手に取って読むことができる。この時期の漱石・子規の手紙は元からきゃっきゃしたものが多いが、こうして親しみやすい文章で訳されると可愛さが際立つ。「頓首頓首」→バイバイ。のナイス翻訳ぶり。

 ちなみに文中の「平凸凹」は漱石の当時の筆名のひとつ。コンプレックスだった、あばたによる顔の凸凹を洒落にしたもの。かわいい。(もうそれしか言ってない)

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 思いもよらぬKAWAIIを浴びて、感謝しつつ吉備路文学館を去ったのであった…。尾上柴舟展と小川洋子展もとても良かったです。もうこの時点で交通費の元が取れた。

 パネル展示「漱石の岡山洪水体験」と二つの企画展は、2021年3月28(日)まで開催中。

 こうした若い頃のじゃれあいに喧嘩に仲直りから、子規晩年の痛ましく切ないやり取りまで、二人の手紙をシンプルに連ねただけなのに出来過ぎなくらいきれいにまとまったストーリーにもなっている『漱石・子規往復書簡集』、常時大おすすめです。

内田百閒句碑と生家跡

 さて百閒の話に戻ろう。岡山城・後楽園の近くに百閒の句碑がある。元は生家跡地に建てられていたものだが、工事により近所の他の場所に移されているらしい。

 ネットの前情報によると牛がかわいい。もうかわいいしか言ってないがかわいいものは良いものなので見に行くことにする。わりと近くまで寄って来ているし(雪舟玉堂展を見た岡山県美から徒歩圏内)。

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 というわけで来た。ね?かわいいでしょ。

 ちなみに書かれている俳句は「木蓮や塀の外吹く俄風」だそうである。不勉強な身には木蓮しか読み取れなかったが、ちょうどこの数軒隣のお宅の庭で見事な木蓮が満開になっていたので、臨場感を味わえて嬉しかった。

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 は〜いい顔してるわ〜とパシャパシャ写真を撮っているが、ここまでひたすら徒歩で寄り道を続けてきたので、足が痛くなってきている。

 百閒のことが好きなわりに、これまで岡山に遊びに来ても、百閒らしいところをあまり巡って来なかった。よし、この機会に生家跡を確かめつつ、百閒が眺めて育った川辺の土手の景色を確かめてこよう…そう考えて、後楽園の外側、旭川沿いをのんびりと散策しつつ、百閒の岡山に思いを巡らして来たのである。

 それもこれも、吉備路文学館の展示で、小川洋子が百閒と土手について書いた文章が紹介されていたからである。なるほど〜ふふーんへえ〜と春の土手をのどかに歩いて、もう一万歩超えていた。そろそろしんどい。

 しかしせっかくここまで来たのだから、近くにある他の百閒ポイントも巡らねばならない。たぶんもうここに来ることは無い気がするし(あるかもしれない)。

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 というわけで、既に何もない百閒の生家跡地の写真も撮っておいた。集合住宅建設工事の看板が建っていたので、そのうちこの景色も見られなくなるだろう。

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 ここまで来たのだから、近くにある内田百閒記念碑園にも行かねばならない。そして、その公園から川を挟んだ向かい側、漱石逗留の地跡(前述の手紙にあった、夏休みに遊びに来ていた家のあった場所)にある歌碑へ、橋を渡って歩いて行くのだ。先生を訪ねる百閒の気持ちになって。(※岡山でそのような事実はありません)

 というわけで行ってみた話は、画像サイズが容量を超えたので後編にて。