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リアルタイムを書く覚悟を決めたら、noteが少し豊かになった

思考はいつも感情の後にやって来る。私の場合、心動かされる出来事が起きてもすぐには言葉にならない。書くときも少し時間を空けて、結論までの道筋が経ってから机に向かう。


一度感情に専念している分、記憶には残りやすいらしい。その時の心情の変化や周囲の景色、ささいな物音まで思い出せる。長く抱えている間に、他の経験と組み合わせて思考を強化させたり、熟成させたりもできる。自分のこの習性に書き手として何度も救われた。書くことはいつだって思い出の中にある。


と思っていたのだが、今年に入ってから深刻なネタ不足に陥った。今年に入ってからと書いたのを最速で前言撤回するが、2年ほど前から薄々感じてはいた。


たしかに私はたくさんの記憶をストックしておけるが、エッセイの肝となるような答えにつながるのはほんの一握りである。熟成させている間に時機を逸すことも多い。こんな調子では、ネタ不足も当たり前。


おまけにどの記事を読んでも時間軸が過去への一方通行で単調なのである。過去にこだわる一方で、リアルタイムを書くことは避けてきた。渦中にある人が放つ言葉は、まとまりきらずに脱線したり飛躍したりする部分もあるが、その揺らぎさえ”今まさに生きているのだ”と訴える力を宿している。そんな文章にずっと憧れてきたが、一度世に出した言葉は取り消しがきかない。自分の考えに確信を持てないまま発信するのはとんでもなく怖かった。



とはいえこのままでは、読んでくれる人も退屈だろう。事実、ビュー数やスキの数は低迷している。過去も現在もどちらも書けて、はじめて一人前の表現者と呼べるのではないか。





6月、経営難からシフトを減らされ、いよいよ転職を迫られた。自分の決めたタイミングではないだけに、書店の仕事への未練と危機感、突然の就活への戸惑い、本部への不信などバラバラの思いがバラバラに散らばっていた。いつもなら就活が一通り完結してから書くのだが、履歴書より先にnoteを開いた。


付箋を使ってプロットをみっちり組み立てるいつものスタイルを捨て、勢いのまま打ち込んでいく。


矛盾した感情が切り分けられることなく自分の中にある。それは本当に私の心が生みだしたものなのか、社会からこう感じるのが当たり前だからねと与えられたものなのか、判断しようと思うとぐちゃぐちゃになる。


読み手のために取捨選択し、整理整頓する余裕はない。できるだけ素直に、正直に。手を動かしていると「今出せる精一杯の結論がこれなのだ」と腹を決める瞬間が訪れる。書き上げた瞬間、案外うまくまとまるものだと我ながら感心してしまった。


完全なリアルタイムからは少し遅れつつあるが「#転職を余儀なくされる書店員の赤裸々シリーズ」と題し、転職活動の進捗を不定期に報告している。

在職中の活動はスケジュール的にもメンタル的にも厳しいが、苦しければ苦しいほどネタになると思えば不思議と耐えられる。私のモチベーションを維持する連載になりつつあるが、毎回多くの方が記事を読んでくださり、今やこのnoteの主軸を担っている。

「仕事を辞めることにした」と清々しく告げる同僚や友人をたくさん見てきた。短期間で迫られる決断に気が狂いそうになったり、企業側から降りかかるイレギュラーに困惑したり、同僚の優しい一言でふいに決意が揺らぎそうになったり、彼らも経験したはずなのに、そんな素振りを見せずに去っていく。そこをあえてみっともなく曝け出したコンテンツだからこそ、今まさに仕事で悩んでいる人に少しばかり寄り添えたのかもしれない。


2023年に投稿した中で一番大事にしているのが「永遠は意味のないものの中に」というエッセイである。


大学時代の恩師の訃報を聞き、筆を執った。最後にお会いしてから年月が経っているとはいえ、文学という人生の楽しみを教えてくれた人がこの世を去ってしまった喪失感は日ごとに大きくなった。


書かなくてもいいじゃないか。何度も手が止まった。言葉という型にはめ込むために、恩師の人生を勝手に解釈してしまうのではないか。まとめてはならないものを要約してしまうのではないか。書くことに付きまとう業を、私は背負えるのか。繰り返し問い詰めて、やはり書くことにした。


教えてもらったことを伝えようなんて大仰な理由ではない。いくら記憶が残っても、感情は移ろいゆくもの。今、自分の中にある喪失感や後悔、感謝は褪せずとも質は微妙に変化していくのだろう。だったらこれが今のありのままだと覚悟を決め、それが移ろう未来を受け入れるしなやかさを持って、刻一刻刻んでいく。それが書き手の宿命だと考えたからだ。



この記事をきっかけに、よりリアルタイムを意識した投稿にシフトしている。低迷していたビュー数やスキ数はかつてないスピードで増えている。目標にしていたフォロワー100人も3年かけてもう目の前だ。普段、そういった数字は意識しないようにしているが、毎日届く通知を開きながら、書き手の覚悟は画面越しでも伝わるのかもしれないと思う。


たくさんの方に読んでもらえるのはやはりうれしい。noteを通してだれかのひとときに寄り添えたなら、小さな発見をもたらせたなら、これ以上の幸福はない。


同時に、noteは書き手がどれだけ殻を破れるのか挑戦し続ける場でもある。私がどう成長していくのか、笑って泣いて並走してくれたらこれ幸いである。


◉2022年の振り返りnote


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