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つくるということ・主題と発達(敏感期)と空間

 この間学校で、美大受験の話を聞いていて、2000時間デッサンしないといけないという話が出てきました。

 ふと「1万時間の法則」が頭をかすめていったので思い出していたら、「あすこまっ!」のあすこまさんもさっきエリクソンの話ししてたんで書きます。
 何かの道に入り、どうやって歩いて行くのかという話です。



 


エリクソンさんの「1万時間くらい勉強すると凡人でも世界レベルになれるよ。」


 はしょってますけどさっきの1万時間は瑞典人のエリクソンという心理学者が実験して出した話しなんですね。(有名な話なんで気になる方は検索してみてくださいね)
 私自身この話は好きです。ビジネス書として使われるのもわかるなぁって思うし単純になんか元気でる。うん。わたし単純。

 でも、これを美大受験とかに当てはめるとなんか釈然としなくて、、、、、、なんていうかだらだらと高一くらいから受験デッサンを美術予備校でさせ続けて受かって2000時間やったからだ、受からなかったら才能がなかったっていうのは私たちの仕事の中にある知識や手間や責任を無視してる気分になるんですよ。


モンテッソーリさんの『発達とめっちゃ伸びるときの「敏感期」』


 で、発達に沿ったその人その時その時に合った探究法っていうと引き合いに出されるのはモンテッソーリの話しですよね。
 モンテッソーリは6歳以下の子たちの話しですけども、就学後にみんな一律の発達段階にあるわけないんだから大きな子供にとってもその時その時で飛躍的に伸びる瞬間ってあるはずなんですよ。その時にギュギュッと集中したらめっちゃ伸びてその後はもう目もくれなくなる感じ。済んじゃった、みたいな。


自己探究型の授業作り


 で、そこから派生すると、昨今の教育改革で出てくる「自らの探究・自己探究型の授業作り」。
 そうですね、、、、、イエナもそうだと思いますけども、もう日本もそれになっちゃうんで日本なりの学びの体系を作んなきゃなんないんですよね。 
 これ、今父兄と学校でえらくもめてるんですけど、自分で課題を設定するよというと親は「丸投げじゃん!学校側は子供たちに勉強を教える義務を果たさない!見捨てられた!」と聞く耳持たないんですね。
 でもなんだったらみてみるといいんですよ。自分でこれやろうって決めてやり始めたときの顔を、、、、自分の世界を受け入れてもらった上で始まる学びの世界を、、、、。
 これは動機の部分で、美術教育だと「主題選定」つまり、主題を設定する時に着目されてた方法としてわたしは大学で学びました。例えばですね、「水彩画」を学ぶ時に、「静物画」として古い瓶を描きたい子もいれば林檎を描きたい子もいれば物語を描きたい子もいる。じゃぁ大勢の子を一つの主題に引き込むのってどうしたらいいかな?という感じです。
 現在の学校ではそれを各生徒に設定させようとしてる。
 教師の質が問われますねw
 
 ちなみに現在勤務してる学校でもゼミ形式でこういうのやってますが、まぁ楽しそうです。一緒に組んでる音楽の先生が絶対に「好きなことをする時はハードルが下がるんですよ」提唱者で、ああこれは美術教育で習った主題の選定のお話だわと思いつつ、、、、、、現場で私の能力が問われてます;;

主題選定&発達(敏感期)


 でもこれってきっとモンテッソーリの「敏感期」と合ってると思うんで、1万時間しなくても早い時間でモノになると思うんですよ。
 さらにいうと、これに主題選定・発達(敏感期)・身を置く環境づくり、かなと思います。この最後の「環境づくり」は、主題選定と敏感期の母体になるようなところがありますから、家庭、並びに学校環境、社会環境になると思うんですよね。環境を整えてからじゃないと、受験勉強も時間ばかりかかっちゃうよなぁと思ってるわけです。
 整えば早い。
 めっちゃ早い。

センスと才能が求めたもの

 
 ちょっぴり話がずれるんですけども、昔その昔、「センスと才能は違う」とかいう言い回しが流行ったんですよ。そうですね、バブル世代の方がよく言ってました。「お前センスも才能もないよな」的なことを。言われましたよ!!!www 忘れられない。それって、「センス」を「物事をうまくやる方法を察知する能力」だとして使ってるんだと思うんですけどね、なんだかこれもまた「発達」を表す言葉なだけであって、上手いことやらなければ結局時間はある一定数かかるわけです。そのやり方、チートを本人が知ってるタイプですね。おお、転生もの。
 また、「才能」を「物事を巧みに行う能力」だとしたらやっぱりそれができるかどうかはまた時間と条件は一定数必要(と、エリクソンの方法だとなる)。
 結果的にあの先生たちは放っておいても生まれつき時間短縮ができる人ほどプロになれると言っていたってことになりますよね。時間短縮が、成功の証的な。センスと才能がないやつはやっても無駄というのは、教育とか学びとか本人の力というものを見ていないんですよ。
 わたしはさらに個々の伸びやすい状況を作れば、他人の方法でやるより時短可能だし、凡人でも時短できるよねと思うんです。

 今度「お前はセンスも才能もない」と言ってくれた教授に会ったら「そもそもあんたのやり方でどうこうしようと思ってませんから」「仮にも教育に携わっている人間なのに、教育の責任を放棄して、教育の知識もなければ人を信じていませんね」と言えばいいんだな。うんうん。
 
 というわけで、

 美術はとりあえず2000時間デッサンのりこえろそしてから受験だと言われているようですけどわたくしには疑問があるよ、「時短=成功」だけじゃないよね、、、、、というお話でした。かかる時間数についてはまた別の方が言及してくださるでしょうw

 
 とはいえ、黙って水中にあるときに流れてる時間も、、、、、カウントできるようになる方法は別だとも思ってて、、、、
それはまた別の機会に。

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