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つくるということ・前書き

手を動かしたり、何かを生み出すこと、「つくること」がひとりの人間にとってどんなことなのか、だけではなく、多くの人間が集まったところでどんな価値を持っているのか、ということを私はずっと考えています。

図工や美術の時間数は減らされました。

土曜日を休みにするため。理科大国にするため。異文化コミュニケーションができない島国だから英語をするため。理由はたくさんでました。

それを言い返せなかったのは政治家に芸術を理解している人がいないから。芸術家が政治家にいないから。芸術家が政治家になるのを足をひっぱる芸術家がいるから。これまた理由はたくさんでました。

そして、気づけばそういったマイナスのイメージは詳細はともあれ職員室や家庭まで浸透し、やれ図工は遊びの時間だ。美術なんて金持ちの道楽だ。「主要三教科ならぬ不要三教科」(いやぁウマイなぁ)。あげく美大芸大の授業料は高くて高くてびっくり。です。「つくること」が権威に結びつかないと存在できなくなってきたのやら、、、、


でも、つくることはみんな好きです。見えないし言葉にならないパワーを、みんな素直に感じています。日本でこれほどまでにDesignMarketや私家本、バザー、手作り品販売のサイトが普及するって、すごいことだと思うんです。美術や図工の授業が少なくなったからこれが発達したとかいうのはなんかちょっと言葉が足りなくて、、、みんなつくることを考えたり言葉にするより先に、手を動かしたりしたんだろうなって思いました。

私は2010年に出産するまで豆本をつくったり展覧会をちょこちょこしていました。しかし子育てもあり考えることも増えて、自分自身がつくりだすことから「ひと・人間にとってつくること」自体を考えるようになりました。何があっても教室でつくる人々を目の前にして、「彼らのつくるエネルギーや着火点は一体どこからくるんだろう。そして彼らはどこへいくのだろう」です。みんなが去った美術室は、寂しいとかではなく、彼らのエネルギーで満たされているのです。

一方で疑いもありました。

「本当につくるのが苦手」「綺麗に絵が描けても食っていけない」「芸術は保護されるもの」

巷の意見をひとつひとつ自分で考察しないと気が済まなくてその度に悩みました。



ですが、そろそろひとつ整理してもいいかなと思えるようになり、いよいよもって2020年の一区切りかなぁと、、、、自分らしいまとめをして見る気になりました。ちゃんと構造は整理しますが、あくまでもわかりやすい言葉でやりたいですね。

裏付けは子どもたちの道具を持つ姿や、目には見えないけれどもあるものに目を向けている人々の数々の書籍です。


面白いです。自分がわくわく。


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