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記憶「掃除」

美術を専攻していたのでこれまで、多くの作家の方とお話しすることがあったのですが、いろんな話がたまってゆくものです。

でも昔だったらいいけども今は炎上しますよね。許可取れとか。

 なので匿名で書きましょう。

彫刻家のT先生の話です。
抽象彫刻です。
いわゆる、公共彫刻とかの時代です。

朝行くといつも掃除をしていました。
モップがけです。
手伝うか聞くといつも断られました。
自分のリズムというか自分の仕事の一つなんだなぁと思ってたので手を出さないでいたら先輩に叱られました。
その先輩は遅くきていたので、きっと掃除の時間にいないようにしていたんでしょうね(と都合よく解釈)。先生のコンセントレーションの時間には学生はいちゃいけないって言いたかったかな?w


私は美術室に行くと掃除するようにしてます。
流しも汚かったら洗います。
準備室なんて誰も掃除しないから行くと掃除します。
生徒には教師が掃除してるからって強迫観念に迫られて掃除してほしいっては思わないです。そんな恐怖政治いやだ。


「汚れていたら掃除するのは当たり前」というのと「気持ちをととのえるため掃除や仕込みをする」ってことがある流れ、その存在をなんとなくわかってもらえればいいかなって思います。だから授業の前はみんなが見えるところで刃物は研いてるようにしてます。


T先生は、自然な流れで私に見せていたと思うのでその姿勢は私も継ぎたいなって思ってます。

それでも思い悩むのですが、あの時モップがけをした方がよかったのかなぁ?やってたら優等生だったんだろうな。

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