28年前の約束
母が泣いている。背中を向けていても泣いているのがわかる。泣いている母の姿を見たのはもうかなり前、僕がずっと若いころ、父の葬儀以来かもしれない。
母の手には、証明写真みたいに小さな父の写真がある。写真が小刻みに震えているのが見える。母の肩も震えている。この光景、どこかで見たな。あ、自分の結婚式だ。父の葬儀以来じゃなかったか。
28年前、僕はネパールにいた。初の海外。初の一人旅。日本円でたった1万円分だけ現金を握りしめ、汚いバックパックを背負い、徒歩で山に登り、ヒマラヤを見た。異文化に触れた。カレーを少し食べた。
あまりにも無知で経験不足で大した志もない若者を焚きつけるのに、刺激的なネパール一人旅は十分だった。若者は鼻息を荒くして、日本は狭いぞ、なんとなく今のままではいけない気がするぞ、いつか俺は国際社会で活躍するぞ。などと急に意気込んで日本に帰った。
帰国後もフンフンと鼻息の荒い若者は勢い余って両親に約束した。僕は生まれ変わったから。そのきっかけになった景色を、いつかお父さんとお母さんに見せるから。いつか絶対に連れて行くから。と。
28年後、僕は母とネパールに来た。母と初の二人旅。大きなスーツケースを2つ転がして、クレジットカードを手にチャーターしたタクシーに乗り、ヒマラヤを見た。異文化に触れた。カレーを食べた。めちゃくちゃ食べた。
僕と母は、たくさん歩いた。今年80歳になるという母は、どんなに歩いても疲れよりも幸せが勝っているよ、と笑顔で歩いてくれた。テレビショッピングで買った高齢者向けスニーカーは、思ったよりも性能がいいらしい。同じの買おうかな。3Eあるかな。
28年前のあの約束。僕はずっと気になっていた。鼻息の勢いで言ってしまったとはいえ、約束を果たさないまま母までもこの世からいなくなってしまっては、悔やんでも悔やみきれないってやつになる。
母にヒマラヤを見せたかった。母の足が動くうちに、目が見えるうちに、会話ができるうちに見せたかった。鼻息の理由を、どうしても見せたかった。
ヒマラヤを見た母は涙を流した。手に父の小さな写真を持って。どんな思いで泣いていたのかは聞かなかったけど、なんとなくわかる。
ネパール旅行を終え、すっきりした気分になった。気のせいか、母の表情が穏やかになった気がする。写真の父の表情は厳しいまま変わらないけど。
この話を息子に伝えよう。たぶんまだピンとこないだろうけど、伝えることで何か起こる気がする。何かが起こったとき、僕は小さな写真の中かもしれないけど。
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