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母に学ぶ

昭和50年代。クーラーのきいた涼しい友だちの家。冷たいカルピスとお菓子をいただきながら、友だちみんなでたっぷりファミコンで遊んだとある日。

夕焼けチャイムでしぶしぶ家に帰ると、玄関に出てきた母が、汗もかかず服がきれいなままの僕を見てひと言。

「もう一度遊びに行ってきなさい」

僕は、誰もいない薄暗い公園の砂場で、一人ででんぐり返しをしたりヘッドスライディングの練習をした。何度も。そしてたっぷり汗をかいてしっかり服を汚したあと、家に帰った。再び玄関に出てきた母が、優しく僕を迎え入れてくれた。

「お帰りなさい。たくさん遊んできたね。いい顔してるよ。服はお母さんが洗っておくからね。お風呂に入ったらごはんにしようか」

僕の息子は現在小学5年生。夕焼けチャイムの時間に帰ってこなかったり、習い事をさぼったり、宿題をやらなかったり、鉛筆を何本も折ったり、買ったばかりの消しゴムを粉々にしたり、新品の水筒を一日で失くしたり、テストでびっくりするような点を取ってきたり(もちろん高いほうではない)、言うことを聞かなかったり朝起きなかったり返事をしなかったり以下省略、まあ、いわゆるザ・子どもな振る舞いが目立つ、ザ・子どもである。

これにどうしても小言を言いたくなってしまうのが親。だって心配だし。

一時期、息子の学校や放課後の出来事を、同居している母から聞くことが何度かあった。「クラスの放送係の班長に選ばれたんだって?すごいね」とか「一人だけ忘れ物して怒られちゃったんだってね。大丈夫?」とか。

え。それ、知らない。

おそらく小言ばかりを言ってしまったせいで、息子が僕に自分のことを話してくれなくなってしまったのでは、という考えに至った。そういえば、息子がおばあちゃんがいるリビングで過ごす時間が増えた気がする。

ある日、友だちと公園に遊びに行った息子が、またも夕焼けチャイムの時間を過ぎて帰宅した。汗びっしょりで泥んこ。息子は僕に怒られたくなかったのか、帰るなり汗臭くて汚い姿のまま手も洗わずにリビングに直行し、おばあちゃんの横に座った。

僕は小言をガマンして、何気なくリビングに居座り続け、二人のやりとりを観察することにした。

気持ち悪いイモムシの話、理解不能な友だちとの遊びのルールの話、アホなことをして先生に怒られた話、知らないゲームのキャラクターの話。長くて支離滅裂な話。大人にはまったく意味がわからない話。

母は、ずーっと笑顔で「うん、うん」と聞いている。話はわけがわからないし、そもそも母は耳が悪いので、ちゃんと聞こえていないはず。でも母は聞いている。笑顔ですべて受け止めている。楽しそうに話す泥んこの孫の顔を愛おしそうに見つめている。笑顔で「そう、そう」と受け止めている。

息子はとても楽しそうに話していた。あのね、それでね、タケシがね、と。いい笑顔。汚いけど。臭いけど。

あとで母に聞くと、子どもは子ども。約束を守れなかったり、悪いことをしてしまうのが子ども。親は受け入れる以外に愛する方法はないんだから。子どもは子どもらしく、小さいことは気にせず、外で泥んこになるまで遊んで、元気に育ってくれればいいじゃない。と。

僕は、小学生のころに玄関で見た母の優しい顔を思い出した。

最近、息子がピクミンというゲームの話をしてくるようになった。「ダイオウデメマダラを倒すなら、毒と光どっちがいいと思う?」とか。わけがわからない。

まったく、母には頭が上がらない。

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