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#彼女を文学少女と呼ばないで【私はあの人の恋人だと、なぜ思い込めたのだろう】


「楽園の土曜日」片岡義男


彼女はきっと、階段を駆け降りてくるだろう。そのときの足さばき、駆け降りるテンポ、そして足音などを、彼は空想のなかでひとつにまとめてみた。


「マイ・シュガー・ベイブ」川西蘭


乾かした長い髪のなかに彼女の顔は埋まっていた。癖のない細く柔らかな髪の毛だ。ぼくは彼女の髪の毛を指にからめて意味もなく時間をすごすのが好きだった。幻想的な絵画展を散策しているみたいに豊かな様々なイメージを感じ取ることができた。


重くたれ込めた雲がわれ、華やいだ金色の光が刺すなかで、白く波頭が砕ける荒れた海を二人で眺めていると、経済事情の悪さや生活環境の厳しさを忘れて、とても幸福な自由な気分になれた。ぼくたちは肩を寄せ合い、乱れる髪を手で押さえながら、二人で海を眺めていた。そうしているだけで、ぼくは彼女を理解し、彼女はぼくを理解した。


それからぼくたちは、コタツしかない寒い部屋で、遠くに海の音を聞きながら、いっぱいある幸福のうち、一番簡単にできて一番効果のあることを長い時間をかけてした。


タクシーに乗って、ぼくたちは黙り込んだまま家路に着いた。彼女は窓ガラスに額をくっつけて、夜の街を見つめつづけていた。ぼくは彼女の手を握っていたけれど、冷たく小さな手は、彼女の手のようには思えなかった。



「鎖骨の感触」片岡義男


冬の午後、寝室は静かだ。ふたりは、ベッドのなかにいる。快適だ。ベッドのなかは、温かい。彼の体温と彼女の体温とが、共同してひとつの世界をかたちづくっている。ふたりの香りが、ひとつになる。
時間は、ゆっくりと経過していく。ゆったりとした、心やすらぐ時間だ。しかし、冬の日が暮れるのは早い。ついさきほどまでまだ午後だったのに、ふと彼女が体を起こして窓の外を見ると、もう外は夕方の風情だ。光が深く斜めとなっていて、淡くせつない。
ふたりは、抱きあう。彼は、彼女の肩を満喫する。鎖骨と肩甲骨を、堪能する。
「すっかり、条件つけられてしまいそう」
と、彼女は、密やかにあえいで言う。
「ぼくがきみの肩に触れると、きみは、条件反射のように、たとえばいまのような時間を思い出すことになるんだ」
「そうよ」
「ぼくの体に対して、こんなふうになっているきみのこの脚を思い出すんだ」

ふたりは、会員制のバーのカウンターにいる。カウンターをまえにして、ふたりは隣りあわせのストゥールにすわっている。
軽く酒を飲みながら、ふたりは話をしている。ベッドの中で裸で抱きあっているときには出来ないような話を、彼らは楽しんでいる。
彼が彼女の肩に手をかける。彼女が着ているシャツのしなやかな生地の下に、肩がある。しっかりとしたつくりの、広い、強そうな肩だ。
開いた彼の五本の指のそれぞれが、彼女の肩に対して、微妙に力をこめたり抜いたりする。
その指さきの動きを自分の肩に感じていると、彼女は、やがてかならず、ほの暗い寝室で裸になりたいという気持ちになってくる。ベッドに入って抱きあい、彼が自分の肩に顔を押し当てて、鎖骨の動きを楽しんでいるあいだに、自分は思いきりのぼりつめていくことを、彼女は思いはじめる。

「シティポップ短篇集」より

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