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左右がわからないのよ -道案内の天才、現る- (自由奔放な母、タモヨその4) #039

これまでに何度か、自由奔放なわが母、タモヨについて書いた。

タモヨはたまに、左右がわからなくなることがある。

小学校高学年か中学生くらいの頃、タモヨの運転する車の助手席に座った私は、よく道案内をさせられていた。

当時カーナビはついていたのだが、タモヨは運転に集中するあまり余裕がなく、その指示を聞いていない。そこで、私に次はどっちに曲がるかと聞くのだった。

「次はどっちなの!?」
「左」
「左って、…どっち?」


この人は一体何を言っているのだ。「左」以外に、なんと言えばいいのか。

しかし、もうすぐ曲がる道が来てしまう。私は精一杯考えて、こう言った。

「お茶碗持つ方!」
「…それ、どっち?」

タモヨは直進した。

それ以上一体どういえばよいのだ。矢印が書いた紙を用意する必要があるかもしれない。しかし、それはそれで、「前が見えないわよ」とか言われそうである。自由奔放すぎる。


母はその昔、4年程OLをしていたことがあった。当時は、近くの会社まで書類を歩いて届けたり、注文を取りに行く、ということが何度もあったらしい。

その日に向かう会社は「交差点を左に曲がったところ」にある、と聞いたタモヨは、「交差点を左、交差点を左」と唱えながら、書類を抱えて歩いていた。

交差点に到着した母は、横断歩道を渡る前に左右を確認した。

「左、右」と順に車が来ていないか確認したタモヨは、右を向いた状態で呟いた。「交差点を左」。

そして交差点で右を向いた状態のまま、左に曲がったので、結局は交差点を直進することになったのだった。

「お母さんはな、書類が届けられなかったんだ」

同じ会社に勤めていた父が言う。なんだか嬉しそうな父は、そんな母が好きなのである。

「お母さんはな、階段を降りると、もう自分がどっちを向いているか、わからなくなってしまうんだ」

父はなぜか誇らしげですらある。それは仕事仲間としては、迷惑すぎるのではないか。

タモヨは言う。

「そんなの、わからないじゃない。みんなそうでしょ」

みんなそうであるわけ、ないではないか。

みんながそうだったら、世界は大混乱必至である。母に、どうやって道を指示すればいいのだ。

「もう大変だったのよ。私、必ず違う方向に行っちゃうの」

タモヨはまともに仕事をできていたのか、と訝しむ私に、職場にはすごい先輩がいたことが明かされた。

「先輩が、私に地図を書くときにね。わざと反対方向を書くのよ。それでちゃんと着くわけ。『ほら、僕の予想があたってた』って。先輩すごいのよね」

それは本当に、すごすぎる。

「反対方向に書いた地図」とは何のことなのか、母の説明を何度聞いても私にはよくわからなかったのだが、とにかくその人の地図だと、目的地にたどり着けたらしい。

タモヨより30歳年上のその先輩は、現在もうかなりのお年だろうが、ご存命だったら、是非母への道案内のコツをご教授願いたい。

「私、いつもいい人に囲まれてるの。みんな可愛がってくれるから」

タモヨは、相変わらずすごい自信だ。父は頷いている。なんなのだ、一体。

今は母も運転に慣れ、カーナビなどの指示を聞く余裕がありそうだ。しかし、母は言う。

「知っている道しか、通らないから」

それがいいだろうな、と息子の私は思うのである。

(追記)
母タモヨは、当時タイプライターを使った仕事もしていたという。

「私以外は、みんなタイプできなかったのよ」

母は誇らしげだ。しかし問題なのは、タモヨが、自分では理解しておらず、解読できない手書きの英文をそのまま適当にタイプして、海外に送っていたことだ。

ある日ドイツから母宛に、電話がかかってきた。母のタイプした英語の文章の意味がわからなかったからだ。

よくわからない英文をタイプし、そこに自分の名前を署名する母の度胸はすごいが、もっとすごいのは、例の道案内の天才の先輩が、その都度英語で相手にちゃんと説明してくれたということだ。

息子として、その方に心からお礼を言いたい。

2023年12月27日執筆、2024年1月9日投稿
illustrated by maemuki🎨

※自由奔放な母、タモヨシリーズ。仮名だが、エピソードはすべて実話である。

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