📕そういうふうにできている

さくらももこ著『そういうふうにできている』を読みました。

さくらももこさんのエッセイはだいたい読んでいたけど、
これは読んだことがなかった。
子供の頃手に取ったことがあるような気がするけれど、
妊娠出産の話にどうも感情移入できずに読まないままだった。

妊娠出産という、「珍奇で神秘的なこと」を
ここまで盛り上げながらくすっとさせて読ませるとは。
そして、妊娠出産ってプライベートな話を本にするって
やっぱり難しいことだと思う。

でも私はこういうエッセイとか、経験レポみたいなものを
読むのが好きだ。
漫画を読むことが多いけど。
なんとなく、誰かの経験を知るっていうのって
元気が出るよね。
日記とかブログ、エッセイも、
「あー、こういうことを考えるのは私だけじゃないのか」という安心もあれば
「えっ!こんなふうにとらえる人もいるんだね!世の中広いなぁ」っていう発見もある。
どちらも、本当に実在する人が言っているのだから面白い。

ちょっとだけ自分語り。(日記なんて自分語りだよな)
私は結婚したときは子供がほしいとかほしくないとか
考えてなかったけれど、少ししたら子供が欲しくなった。
だけど、すぐにできなかった。
当時30歳、若くは無いけど、別に必死にならなくても大丈夫でしょ〜?って
思っていた。
結局、数ヶ月してできたけれど、
結果は初期流産。
ネットでみたら、初期流産は珍しくない、7〜8人に1人は経験する。
悲劇のヒロインぶることでもない。
妊娠したと思ってからほんの1〜2週間、妊娠したと気づかない人もいるくらいのときだったけど、悲しくて、絶望で、やけくそな気持ちだった。

素人があの頃のことを振り返れば出てくる言葉はこんなものだ。

さくらももこは違う。
情緒不安定、ホルモンのせい、つわり、帝王切開になった話など。
エピソード自体はありふれているんだろう。
なのに面白い。
しんどいこともあったろうに。
基礎体温を3ヶ月間デタラメでつけ続けて、デタラメにつけたのに達成感を得るなんていう
描写もあって、なんだこれ、私が妊娠に必死になってたのとはえらい違いだなって笑っちゃった。

流産したときの変な思い詰めた自分に
なかなかできないなって悩んでいた自分に
読んでもらったらなんて言ったかなぁ。

さくらももこの書き方で一つ好きなのは、
人にすぐあだ名を付けること。
病院の先生の高齢女性のことを、「すごい」とか
感謝しているようなことを書いておきながら
呼び方はずっと最初に思った「婆さん」だったり
この本じゃないけど亡くなってすぐの祖父を「メルヘン翁」と呼んだり。
この本ではお腹の大きくなった自分と賀来千香子さんを比べて「ダルマ」と
呼んで、自分の容姿が千香子さんと比べたら悪夢ダルマだの言ったり。
そういうところが好きだな。
快便女王、今日こそ排便を成し遂げなければ、という使命感も最高だった。

こういうネーミングセンスが好き。

ちなみに、TVで秋元康の面白い話に夢中な夫に対して
「秋元康の面白い話と結婚すればよかったんだ!」という
情緒不安定さも、バカバカしくも、なんかわかるなぁという
絶妙なところで本当に笑った。

帝王切開の生々しい描写に出産は怖いなぁと感じたけど、
世の中のお母さんたちはすごいなぁとも感じたね。

そして、締めくくりは、妊娠出産を勧めたいわけでも
勧めないわけでもないということだった。
どうせどちらの人生しか歩めない、私はたまたま産む人生なだけ。

世の中こんな感じで発信していけたら良いよね。
誰かに影響を与える「インフルエンサー」という存在が大きくなっているし
私もまんまと影響受けるけど
必ずしもそんなにだいそれたことでなくてもいいのではないかな。
さくらももこもめちゃ影響与える人だと思うけどね。
こういうふうに、私はこうだった、以上!あとはそれぞれ考える!という
スタンスは、このSNS時代にこそ発信側にも受信側にも必要だと感じた。


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