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海士町探訪記3日目「島暮らしでは"暇を持て余す暇はない"という現実」

サムネイル画像はフェリーで西ノ島から海士町へ帰る際に見える、西の山に落ちる夕陽です。

3日目になっても全然飽きない海士町タイム、スタート。

本日の海士町探訪

本日の朝食はこちら、右上は寒シマメ漬(冬にとれるスルメイカ)です。ご飯が止まらんやつ。

昨晩の飲み会で誘われたので、朝から稲刈りのお手伝いに行ってきました。伝統的な棚田。後世に遺したい、この風景。先日の台風の影響で稲が倒れている箇所も多かったです。

私、いちおう米どころ新潟の出身で農家の孫でして。形だけそれっぽくなりました。

ワシャワシャと手刈りでやっていきます。ほぼ農薬を使用していないということで、ヒエの勢力が半端ないです。慣れてくると茎の違いでイネとヒエを見分けられるように。無心で稲を刈る時間はまさにフロー状態。

6人で2時間半。ブルーシートの敷いてある奥行きくらいの一帯を刈り上げました。

美味しいお米になれ~

海士町のお米ブランド「海士の本気米」です。品種はコシヒカリ。隠岐牛の堆肥と名産岩牡蠣の貝殻を土づくりに活かしているのが特徴です。

お昼は今日も、レストラン「船渡来流亭 (せんとらるてい)」。本日いただいたのは「島じゃ常識 さざえカレー」です。さざえの旨味がじっくり沁み渡ってくるお味でした。

海士町のみで使える地域通貨「HEARN(ハーン)」です。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のゆかりの地ということで、彼の名が冠されています。

安いからと言って、地域住民がなんでもかんでもAmazonで注文していると、地元の商売は上がったりです。だから、島の中だけで使える通貨を流通させることで、地域産業を活性化することを狙いとしているわけです。例えば、島内での町民の飲食代の数割をHEARNでキャッシュバックするとかね。そうすると次のお買い物はせっかくなので島内で買おう、とかなりますからね。

そんなこんなで今日はお隣の島「西ノ島」へ向かいます。

本日は西ノ島へ

着きました。西ノ島の玄関口、別府港。

町の文化交流を担うコミュニティ図書館「いかあ屋」です。

「いかあや」とは現地の方言で「行こうよ!」「レッツゴー」くらいの意味のようです。「ねー、いかあ屋に行かあや~」とか言ってんのかな。

館内は本当にオシャレ。すげーいいなー、こんな図書館ほしいわ近くに。

外を眺めながらゆったりできるスペースとか、

静かに作業もできるスペースも。ここで仕事するのもよさそう。

さて、次の目的地に向かって山を登ります。

途中で野生の牛さんに遭遇。どちらかというと、彼らが住んでいるところに我々が通らせていただいていますからね。

そして到着。標高257mのここは……

広がる大絶景!

国立公園の「摩天崖(まてんがい)」です。

海や風による長い年月をかけた侵食によってできた、天然の地形。素晴らしい眺めでした。

あと、ふつーに野生の馬さん牛さんとこんにちはできます。

景色を堪能した後は町に降りてカフェへ。おしゃれです。

Sailing Coffeeさん。ここだけ東京みたいだった。

チーズケーキとホットコーヒー。夕方のほっと一息つける感じがよき。

帰りのフェリーの時間まで、島唯一の大型スーパー「ユアーズ」へ。ここが隠岐島の西友だ。

基本的に物価が高いんですよね。お茶2Lで298円。高い……

そして、帰りも内航船「どうぜん」で。

ふたたび、海士町へ

時刻は18時前。西ノ島方向から照らされる夕陽に映える海士町の景色が、それはそれは綺麗でした。

夜はまたもやお呼ばれして、晩ごはんをいただきます。こちらの立派なお屋敷は村上家・資料館。隠岐島に御配流された後鳥羽院のお世話をしていたという、由緒ある村上家の邸宅です。今は改築され、資料館としての顔と、地元の活性化を担う企業「株式会社風と土と」のオフィスでもあります。

海士の本気米を釜で炊く。米粒の一つひとつがきらびやかで甘みがあり、本当に美味しかったです。

豪華。

青森県八戸市の地元を盛り上げる市民集団「まちぐみ」の方々とZoomをつないでお話しながらいただきました。うまかったぁ。

海士町探訪後記

ひさびさに気持ちの良い汗をかいた
簡単な体験ではあったが、手刈りの稲刈りを手伝わせてもらった。短時間ながら、農作業の大変さの一端を味わった。ヒエとイネの茎の違いが見分けられるようになったり、45度角で鎌を抜くことで稲束を一発で切れるようになったりと。草、土、虫、太陽、風の中で、人間はただ自然に生かされているだけ、環境をお借りしているだけなのだとも気づかされた。

満点の星空で何を想う
夕飯をご馳走になった後、明かりのない山奥まで車を走らせて、広場に寝転がりながら満点の星空を眺めていた(さすがに写真には残せなかったので目に焼き付けておく)。悠久の時を経て遥か彼方から届く、大小明暗さまざまの星の光を見ながら、自分の前途について想いを巡らせる。

宇宙が誕生してから幾億年。星々が生死を繰り返す中で、偶然生まれたこの地球上に、たまたま、ほんの一瞬の命をもらって生きている。その限られた時間をどのように生きるのか。命をどのように遣うのか。そんなことを考えていると、今ワクワクを感じている方向、つまりこの島で暮らすことに、一歩を踏み出してみるのがいいんじゃないか。そうとさえ思えてきた。

島暮らしでは"暇を持て余す暇はない"という現実
一方でこの島には、自然に囲まれた悠々自適な田舎暮らしだけを享受して生きていけるなんて幻想はないことも同時に知る。少子高齢化による人口減少は現在進行形で続いていく。伝統的な文化や、昔ながらの農漁業を継承していく人も足りない。慢性的な人手不足だから、大人はみんな何かしら、島での共生のための仕事を営んでいる。自分ひとりだけが島の生活を享受するなんてことはなく、持続可能な暮らしを守り新しい形で発展をさせていくために、それぞれの知恵と行動を活かして実現に挑戦している。その熱量の裏には真摯な危機感があることも、圧倒的リアリティで感じられる。

大人はみな忙しい。だから、子どもたちは外遊びばかりすることもなく、普通に家でゲームとかよくあるみたいだ。これは一例だけど「自分は泳げると自信を持って答えられる子どもの数が4割くらいしかいない」という話を聞いて驚いた。せっかく素晴らしい海があるのに、大人が忙しいので泳ぎをつきっきりで教えられない。そんなところから自然を活かした新しい保育(お山の教室)も生まれているみたい。

幸運にも、自分が現在勤めている会社・サイボウズはリモートワークが可能なため、東京でも海士町にいても仕事の内容はまったく変わらない。複業のコーチ業もそう。まったく変わらない。ただ島で暮らすならばそこに、地域社会で生きる時間が増えてくる。地域の行事はたくさんあるし、島での仕事も一部やっていくとなると案外、都会にいるときよりも動いている時間が多くなる。

あれ、たしかに都会の喧騒を離れたけれども、やることはたくさんあるし、住民との距離は近いしで、プライベートな時間が少なくない?これってどうなんだっけ?ということにもなりそうだ。そこをどう捉えるか。

まぁ住んでみなきゃわからんから、とりあえず行っとけという自分もいるのだけれど。時間はあるからゆるゆると考えよう。

頂戴したサポートは、私からのサポートを通じてまた別のだれかへと巡っていきます。