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ファッション発達障害


ファッション発達障害に当事者感情がザワついた出来事があった。

大学の看護学科で同級生だったハルカ(救急ナース8年目)とアキオ(手術室ナース8年目)に数年ぶりに会ったときのこと。

久しぶりに会った二人に、私は大学卒業してから現在に至るまでのことを話した。

看護師として精神病院に就職したものの、発達障害特性から業務についていけず退職したこと。
障害者手帳を取得して、障害者枠で一般企業に就職したこと。
ここ数年、発達障害の身体症状や二次障害が悪化していて、障害者雇用の仕事すら続けられるか怪しくなってきたこと。

私は自分の障害について話すとき、相手を反応に困らせたくないので、できるだけ明るくあっけらかんと話すように心がけている。

ハルカとアキオは「人生色々あるよね」「看護師じゃなくなっても、働けなくなっても、多動ちゃんの価値には変わりないよ」と肯定的な言葉をかけてくれた。

けれど、そこからの二人の会話が私を不穏にさせた。

ハルカ「私もADHDな気がする😂じっとしているより動き回っているほうが好きだから😂」
アキオ「俺はアスペルガーやわw 女心を察するのがマジ苦手でさw こないだカノジョと喧嘩したときも『あんたはホントに察しない男ね』と言われてさ(以下略」

軽々しく発達障害を自称する二人に、私は複雑な気持ちになった。

やめてくれ。そんなファッション感覚で発達障害を自称しないでくれ。

こっちは副作用に耐えて投薬治療をしてきたんだよ。
一緒にあのハードな看護実習を乗り越えたのに、私は発達障害のせいで看護師の夢を諦めざるを得なかったんだよ。
長い時間をかけて障害受容のプロセスを踏んで、障害者というレッテルを背負って生きていく覚悟で障害者手帳を受け取ったんだよ。
生きづらくて何度も死にたいと思ったし、今も死にたい気持ちを抱えながら生きているんだよ。

そう言いたいのを抑え込んだ。

私は医師ではないので、ハルカとアキオが定型発達だと診断することはできないが、素人目から見た印象では二人が発達障害を持っているようにはとても見えない。
性格や気質の凹凸は誰もが持っていて、当然ハルカにもアキオにもそれが見られるが、二人とも社会生活には適応しており、支援や投薬を要するものとは考え難い。

ハルカもアキオも、大学にストレートに合格し、留年することなくストレートに卒業し、看護師国家試験にストレートで合格した。
コンビニや飲食店といったスピードとマルチタスクが求められるアルバイトだって大学4年間続けていた。
離職率の高い看護業界において8年目になっても生き残っており、救急や手術室といった大学病院の花形部署で、指導者を任せられていたり役職に就いていたりしている。
二人はむしろ健常者の中でも能力的に高いタイプだと思う。

もちろん、発達障害を自称する二人に悪意がないことは重々承知している。
もしかしたら「多動ちゃんも僕らとそんなに変わらないよ」という励ましのつもりだったのかもしれない。
あるいは「じっとしていられないの分かるよ」「察するのが難しいの分かるよ」という共感のつもりだったのかもしれない。
あるいは私があっけらかんと障害について話すものだから、深く考えずに「発達障害」というワードから連想されたことをそのまま話しただけかもしれない。

それでも私は、ファッション感覚で発達障害を自称する行為には違和感を感じざるを得ない。
当事者感情をザワつかせる意図はなかったとしても、当事者としては障害の苦しみを軽んじられているようで複雑な気持ちになる。
障害名は軽々しく自称するものではない。