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誰がなんと言おうと、それでいいんだ。


久しぶりに聴いた曲がある。ウルフルズの「ええねん」。
あかしゆかさんのnoteを読んで、遠く、高校時代に思いを馳せた。


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高校生の頃、私はバドミントン部でキャプテンをしていた。
キャプテン」なる肩書きと私は、どうしたって交わるものではない。


元々私は、怖がりで、引っ込み思案だ。


運動は決して得意ではなく、むしろ苦手意識から避けて通っていたように思う。


小学校のソフトボール投げで、2mという記録を出したことがある。(地面にボールを叩きつけたとしか考えられない。)
ドッチボールのボールを取れた試しはないし、小学校6年間のかけっこはオール努力賞だった。


そんな私は高校でも、書道部に入る予定だった。
ところが部活動見学で、バドミントンをする先輩たちの姿に心を奪われた。
それで入部を決めてしまったのだから、若さとは恐ろしいものだ。


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週7日の厳しい練習。
チームメイトは、どんどんと力をつけていく。

私はバドミントンがうまいわけではなかった。
それでも、キャプテンだった
(入部したての時期に先輩が指名してくれた役職だったため、運動能力は加味されなかったのだ。)


実力のないリーダーほど、説得力に欠けるものはない。
自分は勝ち進めないくせに、大会の前にチームメイトを鼓舞する声掛けをするのだ。

キャプテンは、私であるべきではない。

自明の理とそれでもやってくる現実。
その狭間、大会への移動中に「ええねん」を聴いていた。


つっぱって突っぱしる
転んで転げまわる
時々ドキドキする
そんな自分が好きなら ええねん
そんな日々が好きなら ええねん
何もなくても ええねん
信じていれば ええねん
意味がなくても ええねん
何かを感じていれば ええねん
他に何もいらんねん
他に何もいらんねん
それでええねん


自分が惨めで無力に見えるとき、
がんばれ、も、大丈夫、も、重圧に変わるとき、
「ええねん」が背中を押してくれた。

うまくはなかったけど、バドミントンが好きだった
だから、それでいいのだ。


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あれから、10年近く時間が経った。
酸いも甘いも経験するうちに神経は図太くなり、怖いものも減った。

それでも時々、自分が無力に思えるときがある。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、無駄に自分を攻撃してしまう。
だけど、どんな自分もそれでいい。

ええねん。ええねん。それでええねん。

スタイリッシュな歌詞じゃない。
流行りのメロディーじゃない。
なんなら、ちょっとダサい。
でも、そこがいい。

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