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ファンクラブとは自分がファンである事を自認するための団体だ

自分が何者であるかを自認することはどれくらいあるだろうか。自分が何者であるかの答えを探し求める為の人生において、自分が何者であるかを自認できる機会は非常に貴重であり、幾ばくかの代償を払って然るべきである。

最近ファンクラブと言うものに入会した。入ってはみたものの、どこにそのクラブの実態があるのかは分からない。欧州のサッカークラブのように全員で集まって何か練習しようとかそういう流れになる様子は今の所はない。

ではなぜ入ったところで何も生活の質が変わらないようなクラブに入会したのかと言うと、せっかく音楽ライブに行くのであれば近くのいい席で推し様を拝みたいという純粋で明瞭なマゾヒズムからである。

何のファンクラブに入ったのかと言えば「ずっと真夜中でいいのに。」である。別に夜行性のドラキュラの話をしている訳ではない。ずっと真夜中でいいのに。とは、か細い一人の女性が、薄暗い環境の中で、耳心地の良い音を発するエンターテイメントである。

先述の通りファンクラブに入った理由はライブのいいチケットを取るためだけであって、それ以上には何も求めていなかった。そもそも多少の年会費を払っただけで簡単に入会できるようなクラブには、私に対して特別な行いなんて出来ないだろうと期待もしていなかった。

ただファンクラブこそ何もしていないものの、私の中の何かが確実に変化した。

次の日の朝、起きた時から(嗚呼、私は今日から正式にずとまよのファンなのか。)と今までの片思いが実ったかのような気持ちだった。

そこからというもの(私はずとまよのファンなのだからどんな曲も知っていなければいけない)とプレイリストに今まで聞いてこなかったマイナー曲が追加されたし、(私はずとまよのファンなのだから全ての動向を把握しなければいけない)とずとまよのSNSの全ての投稿に対してリアクションを送るようになった。

まさに私は自分自身がファンであると言うことを自認させて頂いた訳である。ファンクラブにはこのような力がある。運営がこの感情を作為的に操作しているのであれば、それは間違いなく脅威だ。

自分が何者であるか分からない世界だからこそ、これは「自認する」と言うよりも「自認できる」と言う方が適切なのかもしれない。もっとも「自認させて頂いた」という表現の方が興奮する読者がいるのであれば、あなたは忠誠心は他人に自慢できるくらいに目覚ましいものであろう。

ファンであるとは自己完結型信仰だ。外部からの声を気にすることはない。そしてファンクラブとは自分が「ファンである」と言うことを自認させて頂ける宗教団体だ。辛い時には拠り所として使えばいい。

ただ一つ、入会者特典として貰えるストラップのことを「勲章」と読んでいるあたりで本当の危なさを感じたのもまた事実。

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