「手分けして探そう」って効率悪いと思いませんか?
別に誰に対する不満でもないけど、賢明な解決策を持っている訳でもないけど、カフェオレとカフェラテの違いは分からないけど、「手分けして探そう!」ってもっとどうにかならないかと思う。
ドラマとか漫画みたいに「あいつがいない!まさかピンチかもしれない!!」ほど緊張感高い場面なんてこの単調な人生にはなくて「おいおい、あいつどこいった?めんどくせぇ〜」くらいのテンションで「じゃあ手分けして探すか〜」の流れになる。
しかしこれがまあ非効率なこと、奢る奢らないのやりとりの如し
手分けしたんだからできるだけ違う場所を探そうと考える。手分けした仲間と遭遇してしまうと「あ、ここはお前が探してくれていたのか。ごめんごめん」と何だか気まずくなって、逸れた友達を見つけるよりも、できるだけあいつと巡り会わない場所に行くことが目的と変わる。
さらに時間が進めば「もしかしたらもう見つかっているんじゃないか」と言う気持ちになってきて、自分の行動が無駄に感じてきてしまう。もうここまで来ると探し方も雑になって、歩いている可愛い女の子の方とかに目がいってる。
そこでいざ逸れた友達を見つけたとしても、今度はそいつを探しているもう1人の友達を探すミッションが始まる。なぜならあいつと同じ場所を探さないように出来るだけ遠くに来てしまっているから、もうあいつがどこにいるのか分からない。
じゃあそこでまた手分けしてあいつを探そうかとなって、恐らく忍たま乱太郎のどこかの一話で描かれたような無限ループの展開に陥る。
それを繰り返すにしろ繰り返さないにしろ、最終的には3人が同時に同じ場所に集結すると言う奇跡を起こすしかないのだ。
ただこの軌跡は案外起こるもので、今まで生きてきた短くはない人生で、逸れた友達と会えずに「もう日も暮れてきたし諦めよう」みたいな忍たま乱太郎のどこかの一話で描かれたような展開になった事は一度もない。
ここで改めて「奇跡って起きるものじゃなくて起こすものなんだ」と気付かされる。
こんな所で貴重な「奇跡」を使いたくないよ。もっとすごい奇跡起きてくれよ。例えば「電車で音楽をシャッフル再生で聴いていて米津玄師が流れてきたと思ったら、それと同時に横の席に米津玄師が座ってきた」とかさ。
ただ今まで生きてきた短くはない人生で、この奇跡は起きたことがない。ここで改めて「奇跡って思い通りに起こせないからこそ奇跡なんだ」と気付かされる。
すなわちここまでの話をまとめると、奇跡とは2種類ある。奇跡なものと奇跡じゃないものだ。
ちなみに後者は奇跡ではない。
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