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未来への軌跡を刻んできた北の大地の行政マン

狂牛病発生の激震

 狂牛病による牛肉パニックの記憶を思い起こせるだろうか。今から22年前2001年9月10日、イギリスに端を発した狂牛病に感染した牛が、とうとう千葉県内でも確認された。翌11日は、アメリカ同時多発テロが世界中を震撼させた日である。しかし、酪農王国北海道の道庁では、より大きな激震が走っていた。狂牛病の感染牛が生まれたのが北海道生まれだとわかったのだ。

 当時の副知事が、この本の主人公の磯田憲一さんだ。すぐさま狂牛病対策本部長を担うことになった彼は、この原因もメカニズムも感染ルートもわからないという状況下で、責任者として対応に追われることになった。

 北海道は、ある意味で悪者扱いもされた。しかし、彼は持ち前の正義感と勇気、発想力と未来志向で、これを乗り切っていった。

誰もが安心できてこその真の政策

 当時、農政のドンと言われていた大物国会議員は、全国会議の席上で「北海道は、なぜ謝らないんだ」と声を張り上げたそうだ。彼は、もちろん謝罪などしなかった。そういう問題ではないからだ。国は感染の疑いある牛の肉の流通を防ぐため、ヨーロッパと同レベルで「月齢30ヶ月以上の牛の出荷前検査実施策を決めた。しかし、彼は納得いかなかった。30ヶ月までの牛には感染例が無かったというだけで、検査する必要が無いという根拠を、生活者が納得して安心するはずがないからだ。

 当然、すったもんだの末だが、彼は「全頭検査」を決心した。国に倣って従えば、もし検査対象外の牛の感染が判明しても、北海道の責任は無い。これは、役人にありがちな選択だろう。しかし、彼はそれまでの道庁マンとしての経験から、国の方針が必ずしも正しいわけではない実状を痛いほどわかっていたという。そして、生活者の安心、暮らしの安全こそ最優先すべきとして、北海道独自の全頭検査に踏み切った。そして、後から国もそれに追随した。

人のこころを大事にする政策

 国内4頭目の感染牛が道内で見つかった時、その出荷前検査の担当医師が自死した。彼は、この医師をそこまで追い込んでしまったことが大きなショックだった。その医師は生前「(風評被害が深刻な)BSEを出してはいけない雰囲気がある」と、周囲に話していたらしい。想像を超える重圧と闇が、関係者にのしかかっていたのだ。その医師は鹿児島県出身で、北海道に憧れて赴いていた。医師の母親から「もう少しいい加減に仕事をしてくれたらよかったのに」と言われた磯田氏は、憧れに足る北海道であり続ける使命を感じた。そして、生産者や検査者が追い込まれることなく、しっかり仕事をして生活者の不安を除いた人をこそ報償する制度を実行した。それほどに、北の大地北海道を愛していた。

 狂牛病から発して、雪印食品の牛肉偽装事件も発覚し、北海道を代表する企業が解散に追い込まれた。しかし、磯田氏は食肉加工に携わる職人さんたちの矜持にふれ、その技、その場を北海道から消してはならないと決心した。そして、自ら金融機関に働きかけた。その言葉に心打たれた金融機関の仲介で、工場は閉鎖を免れて、新しいスタートを切れた。

(自律性×柔軟性×独自性)×(発想力×意志力)=北海道スタンダード

 一つの政策案件だけでも、これだけの物語になる磯田氏の行政手腕は、入庁以来ずっと続いてきたものであり、ここに挙げきれない。たとえば、「時のアセスメント」がある。これは、道の公共事業の再評価システムであり、97年の流行語大賞にもなった。

 これは、「役所の決定には誤りは無い」という行政の「無謬性神話」に対して、時が流れれば、事業の効果、世間の価値観も変わるのだから、誰かの誤りの責任ではなく、時と共に変化することを再評価することが重要なのだというもので、これによって、無駄な歳出が大幅に削減され、必要な政策に充当されたというわけだ。名付けて「時のアセスメント」である。素晴らしい自律的な、フレキシブルな、独自性を大事にする北海道らしい政策スタンダードである。

暮らしと文化の価値を愉しめる温もりとゆとり

 このような磯田氏であるが、じつは文化行政に関わっていた時期が長い。ソフトの人なのだ。私が磯田氏と出会い、素晴らしい人が北海道の政策を牽引していると感じとることができたのは、HRIで生活文化関連企業20社のコンソーシアム「生活文化サロン」を組織して、全国の生活文化産業、生活文化行政の未来予兆を訪ね歩いていた92年、今から約30年前だった。要職の役人の方でも、これほど土地と文化を愛し、遊びを楽しんでいる人が北海道にいるのだと気づき、その背景には、北海道ならでは、北海道が育むゆとりなのではないかとも感じた。

 道庁を引退した後でも、彼はさまざまな、心温まる取り組みを切り拓いている。「君の椅子プロジェクト」は、その代表例だ。椅子という人の居場所に注目し、赤ちゃんの誕生に際して、北海道の樹木を活かし、地域の職人さんの手によりつくられた椅子をプレゼントするというものである。素晴らしい取り組みではないか。その他にも、アルテピアッツァ美唄の館長や農業関連、介護福祉関連でも、彼の抜群の発想力、実行力、仲閒づくりの力で進めている。それが、北海道スタンダードになっていくのだ。

未来は周縁から、未来は島から

 未来は現在進行中の強い引力が働いている「中心」からではなく、多様な力や固有の文化が担保されている「周縁」から起こり、また、空間的につながっている場よりも、何かを隔てた「島」から起こると、私はかねてより確信している。
 北海道という大きな島、そして北の果て、まさに未来の生まれる地の条件のとおりなのだ。そして、磯田憲一さんの取り組みは、まさに「自律社会」のフロンティアの兆しづくりに見えるのだ。こういうフロンティアの先輩の背中をみながら、そして自分も背中をみせながら、次世代に渡す幸せな日常のある未来を想像し、創造していきたい。

ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一

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